2011年9月26日月曜日

支援者から以下の本を差し入れするとのメールが届いています。
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昨日9/26(月)千葉刑務所に差し入れに行こうとしましたが、一昨日のブログでお花の差し入れをされたとのご報告がございましたので、日にちを置いて、お花と本の差し入れに行きます。最初にお花を差し入れた時に確認しましたら、やはり翌日に届くそうです。金曜日に差し入れた時は、月曜日に届くと仰ってました。
東京拘置所に移送の時期も気になります。先日事前に伺った時は、まだ先のようでしたが、移送の状況を再度確認してから差し入れに行こうと思ってます。これから市橋達也さんに手紙を送ります。本は《汝の敵を愛せよ/マーティン・ルーサー・キング》を差し入れる予定です。
滞在中のモーテルから花火が見れて良かったですね。写真も綺麗でした。日本は残暑から急に寒くなり、秋らしくなりました。これからは、紅葉が楽しみです。アメリカの生活と写真も楽しみにしてます。
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バージニア州の山の中に住んでいる剣道の弟子/友人のKelly Brown 君を訪ねました。車の走行距離計で見たら片道約200マイルでしたから、320Kmくらいの距離です。マウント・エアリーMT. Airy という小さな町で待ち合わせをし、地元のPorkey's というレストランで食事をした後、車で山に登りました。Kelly 君は山の上にある水力発電のダム湖を管理していますので、私が来るといつもボートを出して周りの景色を堪能しながらフィッシングをするのですが、今日はあいにく雨上がりで濃霧が発生していましたので止めました。いつもだったら遠くの山並みが見える展望台も視界ゼロに近いくらいで何も見えませんでした。

Kelly 君の奥さんのジェイニーJannie さんは、以前はMT. Airy の老人ホームに勤務していましたが、施設の老朽化で一時閉鎖された時に辞めて、今は山の上に住んでいるマリー・ターマンMarie Turman さんというアルツハイマー病を患っている80才代の女性の世話を週3日しています。Jannie さんにも会いたかったので、Kelly 君と訪ねてみました。ご主人は元はアメリカ空軍のパイロットで第二次世界大戦ではヨーロッパ戦線でドイツ軍と戦って、終戦後は空軍のパイロット訓練の教師をしていたのを除隊して郷里の山の中で酪農を中心に農業をしていたそうです。乳牛以外にも、アスパラガス、ブルーベリー、リンゴ、クリスマスツリーの栽培もやっていたそうですが、2002年に82才で亡くなったとのことです。Kelly 君の話ではTurman家の土地の広さは1000エーカー(120万坪=408町)くらいだろうとのことですから、想像もできない広さです。今は人に貸して小作料みたいなものをもらっているようです。
Marieさんは私が訪ねたので大変喜んでくれて、一緒に写真を撮ったり、家の中を全部案内して、興味深い昔の話をたくさんしてくれました。5人の子供(息子3人、娘2人)を育て、息子の一人はMT. Airy の町で牧師になり、もう一人は音楽家になり、もう一人については何をしているか聞きそこないました。娘の一人は今同居していて、MT. Airy の老人ホームに通って勤務していますが、もう一人の娘は1982年に交通事故で亡くなったようです。ご主人のサイラスSilas さんが生前に書いた原稿を今年出版したということで、「SILAS TURMAN: FOREVER GRATEFUL」(サイラス・ターマン:永遠に感謝します)というタイトルの自伝を一冊いただきました。音楽家になった息子さんはThe Joyful Noise という名前のバンドを組んで演奏旅行をしているようですが、昔フロリダに旅行したした時にレコーディングしたというレコードを1枚いただきました。日本に帰ったら誰かにCDに変換してもらおうと思っています。
私と話している時は全く正常で24時間介護が必要な病人には見えませんでしたが、Jannie さんによると、急に不機嫌になって怒り出したり、料理をするのに電熱器のスイッチを入れたまま切るのを忘れたり、知らない間に一人で外に出て今は他人が住んでいる元両親が住んでいた家に入ってお母さんはどこと言って探したりするのだそうです。
息子達が使っていた部屋にはベッドや息子達が子供の時に遊んだ人形などがそのまま置いてあったり、亡くなった娘が使っていた部屋のベッドもそのまま、壁のカレンダーも亡くなった年1982年のものがそのままになっていました。子供たちが今でもそこにいるかのように、私を案内する時はドアをノックして入っていました。おばあさんの時代に使っていた女性の乗馬用の鞍は、私には珍しかったです。女性は馬に跨(またが)らずに、突起に片足を引っ掛けて横座りの格好で乗ってたずなを握ったのだそうです。試しに私も女性用の鞍に乗ってみましたが、体重のバランスが不安定で長時間続けると乗り心地が悪そうでした。パイのような料理を作った時に、子供がつまみ食いしたりハエがたかったりしなしいようにしまっておいたPie Safe (パイを入れる金庫)と呼ばれる木製の簡単な保管庫もありました。その他にも、糸紡ぎや足踏み式のミシンやランプや古い大きなラジオなどもちゃんととってありました。おばあさんが1911年に作ったというキルトには、家族の名前が一人一人縫いこんであって見事なものでした。

車も電気もなかったおじいさん・あばあさんの時代のアメリカの田舎の生活がどんなだったか、おもしろくて、おもしろくてたまらないくらいでした。今では想像もできない不便さ(例えば、山からMT. Airy の町までわずか20マイル=32Kmの道のりをA horse and buggy と呼ばれる幌(ほろ)付き馬車で昼食持参で片道1日かかって、川には橋がないので浅瀬を見つけて馬に荷車を引かせて渡ったり)の中でも、人々はちゃんと工夫をしてそれなりに生活していたのです。旅路の途中でトイレをしたい時は、男は森の片方の方角に、女は反対の方角に入っていって用を足したそうです。Marie さんは今はアルツハイマー病とは言え、母親としての子供たちや家族への愛情は、アメリカも日本も同じだなあと感じました。今は巣立った子供たちや亡くなったご主人との生活が今も続いているかのように暮らしている様子でした。