2011年9月17日土曜日

ノースカロライナ州ローリー Raleigh 市はあいにくの雨天でしたが、現地は好天なことを祈りつつ朝7時半に出発し、途中1回だけガソリンの補給を兼ねて休憩し、サウスカロライナ州ギャフニィ Gaffney 市に着いたのは12時頃でした。私のノースカロライナ州立大学勤務時代の研究者仲間/空手の弟子/フィッシングの先生のLarry Tate 博士からは、もう出発したかとか、今どの辺りかなどと途中で4回くらい携帯に電話があり、首を長くして私との再会を待っている様子が伝わってきました。奥さんのLinda さんは家の中を片付けてきれいにしたら、Wal Mart というショッピングセンターに行って昼食のサンドイッチ用の食材を買ってくるとのこと。ギャフニィ市はローリー市よりももっと南部の田舎町なので、遠くからお客さんが来ていろいろな話しが聞けるのは楽しみのようでした。失礼な言い方ですが、同行した友人の話では、この辺りの人達は皆のんびりした田舎の生活をしているので知的 Intellectual な話題の話ができる相手に会うのが楽しみなのだとのこと。Larry 君はサウスカロライナ州立大学教授を早期退職後、自宅に帰って牧場の世話をしながら非常勤講師として近くの短大 Community College で教えていましたが、入学生数の減少で不要になって首になったとのこと。

奥さんのLinda さんは刑務所で囚人たちの先生をしています。囚人の多くは黒人で中学卒後働いていて犯罪を犯した人が多く、読み書きができないので、服役中に教育を受けてGED(高校卒と同等の資格)を取らせて、社会に復帰した時に就職し易くするというプログラムです。囚人の中に大学卒の人がいるので、実際にはそういう囚人に簡単な数学(算数程度?)と読み書きを教えさせ、Linda さんはプログラム全体を監督するという立場のようです。Larry 君によると、南北戦争(こちらでは市民戦争と言います)後、奴隷制度はなくなって黒人は解放されましたが、戦争当時北軍の将軍だったグラント氏(Ulysses Simpson Grant)がその後合衆国の大統領になって無策だったので、黒人は結局生きるために元の白人の農場で小作として働くか、北部に移住して工場労働者として働くしかなかったことが、今でも黒人が2等級市民のような厳しい生活を強いられていることの遠因だとのこと。

Larry 君に牧場の中や、新しく購入して牧草を植え始めた土地を車で案内してもらいましたが、421エーカー(約40万坪=130町歩 )という広大な土地で、その中約40 エーカーが森林だそうです。今年はこの辺りはテキサス州と同じで雨が降らずに歴史的な旱魃(かんばつ)で、放牧している牛が食べる牧草が不足して困っている状態とのこと。南北戦争以前は彼の家も奴隷を使って綿の栽培をしていたそうですが、森の中の一角には石が立ててあるところがあって、いつの時代かわからないが多分黒人奴隷のお墓だろうということで、今もそのままにしてありました。

奥さんのLinda さん(57才)は先週14日水曜が誕生日だったけど、その日は体調が悪かったので誕生日パーティを今日まで延ばしたと言って、夕方にはLarry 君の兄弟3人とその奥さんたちが集まってディナーを食べました。奥さんたちはそれぞれが得意な料理を持ち寄りましたが、歯科医のElzie の奥さんのBecky が大きな鍋一杯作ってきた鮭肉(缶詰)とジャガイモのシチューは特別美味しくて好評でした。Tate 家は4人兄弟で、長男のLarry 君は大学教授、次男のGregory は計理士、三男のElzie は歯科医、四男のDennis は不動産やになり、皆近くに住んでいて何かあるとよく集まるようです。

Larry 君は自分で建てた丸太小屋みたいな家に住んでいますが、中は必要最小限度のもはそろっていて便利にできています。夫婦のベッドを私に提供し、同行した友人にはゲスト用のベッドルームを提供し、自分たちはリビングルームのソファーで寝ました。書斎には一応パソコンがあってインターネットもできるようになっていて、リビングルームには新式のテレビもありましたが、パソコンの前に座る時間もテレビを見る時間もほんの僅かで、人間や、動物(馬、ニワトリ、ウサギ)や、自然と向き合う生活をしているようでした。ここに来るといつも感じることですが、ニューヨークや東京のような都会の生活と違って、人間が幸せに生きるのに何が必要かがよく見えるような気がします。