2011年10月9日日曜日

今日もお二人の支援者からお便りが届きました。多分、今週中には時間をみて接見に行くつもりですので、市橋君のその後の様子についてはまた皆様に報告します。
嫌がらせについては、全く気にしていませんのでご心配なく。電話は、最初の頃は支援金が届いた時に個別に礼状を差し上げて私の携帯電話の番号も書いていましたので、反支援者が支援者の振りをして振り込んで番号を入手したものと思われます。昨夜も非通知設定の携帯から夜中の12時過ぎにワン切り電話が7回かかってきていましたが、マナーモードにしていて取らないので実害なしです。通販に私の携帯番号で物を注文して架空の住所に届けさせるのも同じで、この頃は宅配便会社からの問い合わせの電話をとらないので何の実害もありません(通販会社には配達料金がかかるので経済的被害が生じる犯罪行為ですが)。それでもこんな馬鹿げたことを続けているのは、精神を病んでいて、誰かに注目してほしいのでしょう。私の方は、携帯電話の番号を変えるつもりも、非通知設定からの着信拒否の設定をするつもりもありません。
メールも相変わらずアドレスを頻繁に変えたり、他人に成りすましたりして送ってきていますが、どんどん迷惑メールのファイルに放り込むか削除するだけですから何の実害もありません。それよりも、他のもっと有意義な打ち込むことが見つからずに、そんなことに時間を使っている若者がいることが可哀想になります。やはり、自分では気がつかずに一種の精神を病んでいる状態でしょうから、誰か回りの人が気がついて適切なカウンセリングなりガイダンスなりをして、そんな状態から引っ張り出してあげられればと思っています。いい若者がそんなことにはまって抜け出せないのは、情けないことです。

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本山先生、お帰りなさいませ。いつ帰国されたのでしょうか?しばらくブログの更新が止まっていたので心配していました。私は海外に出た事がないので、本山先生の記事を楽しみにしていました。たくさんの方々との再会しいろいろな思い出を作ってこられたと思います。読んでいる私も幸せな気分になりました。
本山先生の記事で印象深かったのが、9月26日の記事のMarie Turman さんと29日のローリー市にあった答礼人形でした。Pie Safe は昔日本にもあった蝿帳(はいちょう)と同じ使い方をしていたのでしょう。家の中は昔のままなのは彼女にとって一番幸せだった頃の象徴なのでしょうね。認知症の人はいつも不安定というわけではないのです。私の家族も認知症の祖母を預かったことがあるのでほんの少しですがわかります。
話は替わりますがローリー市の日本人形も危うく迫害されるところだったのですね。日本でも青い目の人形がやはり同じ目に遭わされたという話は聞いた事があります。心ある人は人形を隠して守ったそうです。

<ハリウッド製の映画に出てくるような金持ちで傲慢なアメリカ人を想像していましたが、大多数のアメリカ人はそうではなく、日本ではすでに失われかけているような人情に厚い人達です。それぞれ家族を大切にしながら、自分たちの生活をしています。>
どこの国でも金持ちで傲慢な人はごく一部でしょう。みんなそれぞれ身の丈にあった暮らしをしているはずですから。

それと市橋君のことがずっと気になっています。本山先生がアメリカに行く前に接見した時精神的に不安定だったので、あれからどうしているのだろう、精神状態が悪化しなければいいのだけれど・・。独居房の中でひとりずっと座っている市橋君を思うと胸が苦しくなります。本山先生は違うとブログに書いていましたが、やはり他の被収容者と違って「支援が手厚い」ので、やはり私達の支援が重いのかな・・・と気に病んでいます。
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ご無沙汰しております。アメリカへのご旅行はいかがでしたか?お写真拝見しましたがとてもきれいないいところですね。リフレッシュには最高の場所だと思いました。私も行ってみたいなと思いました。ただ一つ「英語がしゃべれない~(^_^;)」そこが問題ですが(~_~;)
さて、教授の居ない間の彼の様子が気になります。近いうちに面会に行かれるとのことですが、些細なことでも何かしらの変化があれば気が付いてあげて欲しいです。もしかしたら教授が不在の間に誰かと面会しているかもしれませんし。アメリカに行かれる直前があのような状態だったので精神面が心配です。
※何故ブログや支援を止めて欲しいと言ったのか?もしかして教授に嫌がらせがあるということを公判で聞いたからですか?ブログをみて未だにそういった人がいることに驚いています。
いくら気に入らないと言ったって全く自分と無関係な人や事柄にこれほど執念深い嫌がらせができるものでしょうか?旅行先にまで電話やメールって・・ 単なる「気に入らない」だけならばとっくに飽きてても可笑しくないのです。ただの自己満足ならば。
※に戻りますが、もしも彼が支援される事が重荷と感じているのならばそう言ってほしいと伝えて下さい。
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英語については、私も今から42年前に27才で留学した当初は、他の国からの留学生の中でも一番できなくて苦労しました。今でも覚えているのは、同じ研究室専攻で仲のよかったPaul Chen (ポール陳)君 という台湾からの留学生(中国人)がTime という週刊誌を30分位でざっと読んでいたのに、私は辞書を引きながら1週間くらいかかっても読めなかったことや、彼の下宿に行ったらテレビのコメディ番組を見てゲラゲラ笑っていたことです。私には英語が聞き取れないのでちっとも面白くも何ともありませんでした。私も研究室の中で試験管を振ってばかりいたらいつまでも英語が上手にならなかったのでしょうが、幸い空手を教え始めたので、そこで質問をされたり、練習後に弟子たちとお茶(と言っても実際にはコカコーラやコーヒー)をしながら雑談をしたりしたことが、会話をしたり友人を作ったりするきっかけになりました。そのお蔭で、クリスマスのような休みの時は実家に連れて行ってくれて(白人も黒人も)、アメリカ人がどんな生活をしているか経験させてもらいました。そういうことが、その後の私と彼らとの草の根の交流につながったのだと思います。

学生時代に武道家になろうと思って必死に鍛錬に励んだ空手が、その後研究者になってからも大いに役に立ったことについて、当時ブラジルに移住して住んでいた父が「芸は身を助ける」とコメントしたと聞きました。私としては、仕事としての研究は研究で一生懸命やって、それ以外にも仕事とは関係のない打ち込める何かがあったことが、私の人生を豊かにし楽しくしてくれたと思っています。