2011年10月13日木曜日

月刊文藝春秋の記者が市橋君の事件について下調査に来られました。まだ企画の段階のようですが、重大事件のその後を総括する記事の中で市橋君の事件をどう扱うか考えておられるようです。事件の経過そのものはすでに明らかにされていますが、何故市橋君がこういう馬鹿げた犯罪を犯したのか、当時の彼の精神状態と社会的背景を解明することは、第2、第3の市橋事件を防ぐためにも有意義だと思いますが、市橋君自身がまだ真相(心の中)を語れる状況ではないので、難しいでしょうと答えておきました。
この記者は、市橋達也君の適正な裁判を支援する会は、この手の多くの支援団体のように冤罪を訴えているものとばかり思っていたらしく、私との話の中でそうではない、市橋君がリンゼイさんに対して犯した罪は許されない罪なのでそれ相応の罰を受けて償いをするのは当然で、私たちが目指しているのは市橋君が社会から袋叩きにされてリンチ(私刑)にされるのではなく、ちゃんと弁護士をつけて適正な裁判を受けさせることであるということを理解して、誤解していたことを認識しました。あの手この手で嫌がらせをしている人たちの多くも、自分が抱えている精神的問題のはけ口にしているのでなければ、おそらく一方的に同じ誤解をしているのでしょう。

市橋君に差し入れをするのに、小菅の東京拘置所に移される時期の見通しについて支援者から問い合わせがありましたので、今日菅野弁護士と電話で話をしました。千葉地方裁判所での一審の裁判記録の文書化は9月の末に済んで、10月初めには東京高等裁判所に届けられた筈ですが、控訴審についてまだ弁護団への連絡は来ていないので、恐らく今月いっぱいは千葉拘置所にいるのではないかとのお話でした。従って、それまでは郵送による差し入れは従来通り千葉拘置所宛でよいと思います。東京拘置所へ移る時期については、情報が入り次第皆様にお知らせします。

昨日のブログで市橋君に届いた本と届かなかった本のリストを報告しましたが、その他にも自分の差し入れた本についてはどうかとの問い合わせがありました。私への報告なしに差し入れされた方もおられるでしょうから、確認をされたい方は本の題名・著者名と時期について再度ご連絡下さい。たくさん届くメールの中で、私が記録し忘れた本もあるかもしれませんし。再度リストを作って市橋君に確認してもらいます。ただし、面会時間は8分ですので、これからは私から郵送して本人に確認してもらい、すでに宅下げされて菅野弁護士の事務所に保管されている分も合わせて確認します。せっかくの面会時間はなるだけ事務的なやりとりで費やさずに、市橋君の言いたいことを聞いてあげる時間にしたいと思っています。

アメリカのMDA(筋ジストロフィ-協会)に寄付をして下さった支援者から、Everette Noland 弁護士からの英語の礼状が届いたので、「学生時代に戻ったように辞書で単語の意味を確認しながら読ませて頂きました」との連絡をいただきました。また、「先生や市橋さんと出会えたことも私の人生の中で大切で重要な意味あることとして受け止めています 。同じ世代に存在していても出会えないで終わってしまう方々の方が多いのですから、関わり・支援できる事が奇跡のようにも思います。私は私の人生を終える時まで私なりに市橋さんを支援していけたら、と思います---」とのお言葉もいただきました。

9月29日のブログで、ノースカロライナ自然科学博物館で日米親善目的で日本から贈られた日本人形(Miss Kagawa)が展示されていると書きましたら、支援者の一人から日本でも戦争中に心ある人がアメリカ側から贈られた青い目の人形を隠して守ったというお便りをいただいたことを10月9日のブログで紹介しました。私もそんな話を以前聞いたことがあるような気がしましたので、さらに詳しい資料がないだろうかとお尋ねしましたら、早速以下の情報を提供していただきました。ありがとうございました。
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日本はきもの博物館 日本郷土玩具博物館
http://www.footandtoy.jp/friendshipdoll.html

埼玉県越谷市立大沢小学校の青い目の人形
http://www.ne.jp/asahi/saitama/jt/museum/mufr.htm

新飯田小学校(新潟県新潟市?)の青い目の人形
http://www.ne.jp/asahi/saitama/jt/museum/mufr.htm
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これを見ると、宣教師シドニー・ルイス・ギューリック博士の呼びかけで、1927年にアメリカの子供たちから日本の子供たちに青い目の人形が「友情人形」として12000体も贈られて全国の小学校や幼稚園に飾られたとのこと。それに対して日本側は渋沢栄一の呼びかけで各都道府県で58体の日本人形を制作して、「答礼人形」としてアメリカの子供たちに贈ったとのこと。Miss Kagawa という名前は香川県で制作されたからのようです。戦争中は両方の国で人形が憎しみの対象として破壊されそうになったのを、何体かは心ある人たちが隠して守ったお蔭で現在も存在しているようです。
いつか時間のある時にそういう場所を訪問して現在も残っている青い目の人形の写真を撮って、上記のサイトの情報を英訳して、ノースカロライナ自然科学博物館に送りたいと思っています。向こうでも、詳しい歴史を知っている人は少ないでしょうから、場合によってはMiss Kagawa の横にこういう歴史と、日本でも青い目の人形が守られているという説明が追加されるかもしれません。