2011年10月1日土曜日

大西洋に面した海辺の町Wilmingtonに住んでいる1970年代からの空手の弟子/友人のEugeneユージンSancez 君(62才くらい?)を訪ねました。ちょうど、離婚した前の前の奥さんとの間にできた娘二人、Morganモーガン(16才)とMelanieメラニー(13才)が来ていて(裁判所の判決で18才になるまでは2/3は母親のところで、1/3は父親のところで暮らすことになっていて、18才になれば自分の意思でどこで暮らすか決められる)、現在お付き合いしている恋人のKim(Kimberly)キムさんも来ていましたので、全員でKure(クレ)Beach に散歩に行きました。Fifi (フィフィ)という愛犬も連れて行きました。二人の娘は産まれた時から知っていてほとんど毎年見てきましたが、昨年よりも急に成長して、特にMorganの方はYoung Lady(若い女性)のような体つきになっていました。アメリカでは16才から車の運転免許がとれるので、Eugene 君が車を買ってあげて、自分で運転していました。ただし、運転中は絶対に携帯電話は使わないという約束をさせた上でのことだそうです。Melanieの方はまだ少女で、Eugene 君の背中におんぶしてもらったり、しょっちゅう抱き合って甘えていました。

浜辺ではMorgan とMelanie と愛犬のFifi が一緒に散歩し、Eugene君とKim さんは手をつないで散歩をしていました。フィッシングのピア(桟橋)から釣り糸を垂れている人はたくさんいましたが、夏の盛りのシーズンは終わったので、浜辺にはわずかな人しかいなくて、青い空に白い雲が浮かんで、海と砂浜とカモメと、大西洋の海の地平線を眺めながら、悠久の時を感じました。目の前の小さいことに一喜一憂することが馬鹿らしく感じました。
日本には「井の中の蛙(かわず)、大海を知らず」という言葉がありますが、井戸の中どころかコップの中で重箱の隅をつついて自己満足したり、そこだけが世界だと思っているような若者には、コップの中から外に出て無限の世界があることに気がついてほしいものです。

Kim さんはCommunity College(実技教育が中心の短大)で心理学を教えていたのを、50才くらいになった時に離婚した前の夫との間の子供(息子一人、娘二人)が大学を出て自立したのを契機に医師になることを決めて医学部に入学し直した女性です。Kim さんのアパートにもちょっとだけ寄ってみたら、書棚には医学関係の本がビッシリ詰まっていました。4年間の教育(その中にはローテーションと呼ばれる1週間ずつ海外も含めたあちこちの大学病院での合計12週間の実習も含まれる)が修了し、Board Exam の一次テストと二次テストも合格し(トップ97%の成績だったそうです)、後はResidency と呼ばれる実際の病院での3年間の研修医期間を経て、三次テスト(患者を診させて正確な診断と治療の提案ができるかどうかを試験される)を通れば、医師として勤務・開業ができるという仕組みだそうです。ところが、研修を受け入れてくれる病院を見つけるのが大変な競争で、今までの応募した40くらいの病院のリストを見せてもらいましたが、書類審査で落とされるのがほとんどで、Interview 面接までいったのはほんの数ヶ所だけだそうです。100倍くらいの競争率で、1ケ所応募するのに$25かかるので、その金額だけでも馬鹿にならないとのこと。子供たちは全員結婚して、一人の娘には孫もいる年齢(現在55才)なのに、Kim さんの頑張りには頭が下がります。うまく研修させてくれる病院が見つかっても、実際に医師免許が取れるのは60才くらいになる筈ですし、今までに借りた奨学金のローンなどで25万ドル(約2千万円)くらいの赤字からのスタートになるのだそうです。安定した生活を捨ててでも、自分の夢を実現するために頑張っている姿には、皆が皆同じことができるわけではないのでしょうが、力強い素晴らしいアメリカ女性を見る思いがしました。

夕方のディナーにはKim さんの長男のBen (Benjamin)ベンと奥さんのMegan メーガンさんも来てくれました。Ben は32才ですが、Wilmington のノースカロライナ州立大学(UNC Wilmington)の大学院修士課程でコンピューターサイエンスを専攻しています。FBI などからもグラントをもらって、人の顔の写真の特徴から年齢その他の情報を推定するソフトを開発し、日本のNECという会社が自分たちで開発したものよりはるかに優れていると認めて、導入したいと交渉に来たと言っていました。私の現在の顔の写真から、10年後には私がどういう顔になっているかが推定できるのだそうです。

夜、ちょっと外に出て空を見上げたら、都市化してきたローリー市とは比べ物にならないほど無数の星がきらめいていました。都会のよどんだ空の下にいるとわずかな星しか見えませんが、澄んだ空の下に立つと、宇宙には普段忘れている無数の星が存在していることにあらためて気がついて感動します。