2011年12月24日土曜日

昨日から東京農業大学のメールサーバーが機能していないらしく、接続できなくなっていますので、メールを送信して下さった方にはサーバーが再開してから返信致します。なお、私の個人的なaol のアドレスは従来通り使用可能ですので、農大の方に送信不可の場合は、回復するまでそちらにお送り下さい。

12月22日に振り込まれた3名の方(9回目、3回目、3回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は90,000円、延べ440人からの合計額は4,190,928円になりました。年末・年始に向かって何かと出費の多い時期にもかかわらず、市橋君のことを考えて下さり、温かいご支援をありがとうございました。お一人からは手書きのメッセージがありました。
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本山先生、大変お世話になりありがとうございます。市橋君の心と体が、全能の神様、イエス様に守られ、又、すべてが守られます様お祈り申し上げます。ご両親様、支援する方々が守られます様に。
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今日は車を運転して内房の富津(ふっつ)岬の松枯れ状況の視察をしてきました。途中渋滞もありましたので、往復ともそれぞれ約3時間かかり、現地では県立富津公園内を約3時間歩き回ってきましたが、松はりっぱに管理されていて枯れている松はほとんどありませんでした。先日の千葉県森林研究所の人の激害という報告と違うので、さっき電話をして確認してみたら、枯れているのは岬の根元にあたる部分で、公園よりずっと離れた南側の海岸線に植栽されている松林だということでした。
富津公園内の松は、公園施設ということで県の中の土木関係の部署がしっかり管理しているとのことでした。明治時代から終戦まで軍の要塞地帯で、東京湾に侵入してくる敵の艦艇を迎え撃つ基地として使われていたらしく、森の中にコンクリート製のトーチカみたいな建物や弾薬庫のような建物が廃墟のように残っていました。松は戦後昭和22年(1947年)から植林し始めたとのことで、ずい分太いりっぱな松が多数残っていて、昭和28年(1953年)に当時の天皇・皇后両陛下がお手植えされた松も大きく育って守られていました。
ひとつだけ残念だったのは、ごみを捨てないで下さいという看板があるにもかかわらず、林内にベッドやソファーのような家具や、冷蔵庫やテレビ?のような家電製品を廃棄しているところがあったことです。ここだけでなくあちこちの森林や空き地で見られる光景かもしれませんが、自分さえよければということで他人への迷惑を省みないこういう人間は、自分の家族や子供たちに普段どういう態度で接しているのでしょうか。