2012年1月23日月曜日

菅野 泰主任弁護人から控訴審に関する以下の重要なお知らせが届きました。いよいよ一歩次の段階に進んだようです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
市橋達也さんの事件について報告致します。
弁護団は、2012年1月20日午前9:30、東京高等裁判所刑事第8部へ控訴趣意書、事実調べ請求書、弁1・弁2を提出致しました。
弁1はワルファリンの説明書です。弁2は、市橋さんが出版で得た912万円余と所持していた30万円、合計942万円余を2012年1月13日、犯罪被害者に対する贖罪寄付として日本財団へ寄付した旨の報告書です。
2月初旬に裁判所・検察官・弁護人の打合せを経て、市橋達也さんの公判期日等が決まります。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

1月20日に振り込まれた方(初回)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は162,000円、延べ454人からの合計額は4,262,928円になりました。メールアドレスが分かりませんので個別の礼状は差し上げませんが、ありがとうございました。手書きのメッセージもありました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
初めて送金させていただきます。少しでも力になれれば幸いでございます。よろしくお願い致します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

支援者から昨夜以下のお便りが届きました。市橋君に母親のような立場でお手紙を書いて下さってありがとうございます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
こんばんは。いつも先生のブログを拝見するのが日課になってしまいました。お忙しい中、毎日更新して頂きありがとうございます。最近本当に寒い日々で懲罰がまだ続いている市橋さんの体調が本当に本当にあんじられ心配です。心身共にお疲れでしょね・・・。
風邪などひかれてなければよいのですが。
話はかわりまして、ブログに書いてありましたが「100万回生きた猫」私も大好きな絵本です。何度となく読んで、泣いて、とっても心に響いて、現在も大切に本棚にあります。だから市橋さんや本山先生も同じ絵本を読まれるんだなぁと思うと何だか感慨深いものがありましたし嬉しかったです。
私もまだ市橋さんはご覧になっていないでしょうが手紙を何通か出しました。懲罰の期間が終われば支援者の方々の差し入れられた絵本や品物や手紙等を市橋さんが目にされ和む時間がもてますように願っています。
本山先生、マラソン大会が近づいてきましたね。いつも頑張ってこられた日々が実を結びますように心から祈っております。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

本間 龍氏からも以下のお便りをいただきました。ありがとうございました。市橋君も、裁判が結審して長期の受刑生活に入る時に、単なる単純労働ではなく、人の役に立つ仕事ができれば、罪を償いつつ少しでも生きがいになるのではと思います。次回面会に行く時に、そういう仕事もあることを市橋君に伝えようと思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
こんばんは、夜分に失礼致します。支援する会のブログにて拙著のご紹介をして頂き、誠に有難うございました。私の本など、本山先生のような立派な方(本山:とんでもございません)にお読み頂くのは誠に恥ずかしい限りでして、ご紹介頂き赤面する思いでした。
「名もなき受刑者たちへ」は私が黒羽刑務所で服役した1年間の記憶の中から、最も印象に残った事柄を記したものです。刑務所は世の中の縮図ですので、高齢及び認知症受刑者の増加、障害者、同性愛者の処遇に日夜頭を悩ましています。そんな中で、私は「用務者」という刑務官補佐のような役回りを指定され、懲役作業として彼らのお世話係をしました。この「用務者」は他者との協調性や事務能力の高さを要求される仕事ですので、大卒の受刑者が指名される確率が比較的高いと言われています。
ですから市橋さんも服役した場合、この仕事を命ぜられる可能性が有り得ると思われます。一般的に想像される懲役作業とは工場での生産作業だと思いますが、全国どこの刑務所にも高齢者や障害者は必ず存在するので、彼らを世話する係が絶対に必要なのです。
世話の中身は着替えや歩行・入浴の介助、下の世話などです。私個人の感想ですが、機械を相手にした工場作業よりも、人間を相手にした作業の方が楽しくまた興味深く、一日があっという間に過ぎる気が致しました。その特殊な懲役作業を経験した結果が、出所後に作家として生きていこうと思ったきっかけになっています。
前回も申し上げましたが、私の文通相手にはこれから懲役27年を全うしようとしている方がいます。それは本当に気の遠くなるような期間ですが、その方も拙著を読み、私がしたのと同じ仕事を希望して少しでも人の役に立ちたい、と仰っています。裁判後の市橋さんの生き方に、何かご参考になれば幸いです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

朝、千葉駅8:20発の高速バスに乗るつもりで十分早目に自宅を出たのですが、普段は30分の松戸-市川間の路線バスが渋滞で1時間かかり、市川-千葉間のJR電車も3分遅延したために、1分違いで高速バスに乗り遅れてしまいました。仕方がないので調査に同行した樹木医のA氏と千葉駅前の喫茶店で1時間近く時間潰しをして9:20発のバスに乗りました。館山駅には当初の予定より1時間遅れの11:00頃着き、すぐレンタカーを借りて平砂浦と接しているTカントリークラブのグリーンキーパーを訪ねました。ここは西コースと東コースがありますが、前回道路から東コースを見た時は松はほとんど枯れていないように見えました。今日はコース内を車で案内してもらいましたが、松枯れは予想以上に悲惨な状況でした。平砂浦の松林(県有林)に有人ヘリコプターでスミパイン(有効成分フェニトロチオン)と呼ばれる有機リン殺虫剤が散布されていた時は、平砂浦の松もゴルフ場の松も僅かな被害で済んでいたそうです。それが反農薬活動家グループのメディアを巻き込んだ政治的活動で中止に追い込まれて、別の殺虫剤(ネオニコチノイド系)の地上散布に置き換わってから被害が目立つようになり、とうとう昨年は全滅に近い大被害が起こってしまいました。島根県出雲市の場合とよく似た状況です。
平砂浦の松も、詳しい薬剤散布区域の書き込まれた地図を片手に再度歩いて廻りましたが、地上散布をしたところも無人ヘリコプターで試験散布をしたところも大変な被害で(無人ヘリコプターで散布した区域の方が生き残った松が若干多い)、昭和24年から植林して育成してきた松が松くい虫(正式名はマツノマダラカミキリ)の被害で真っ茶色に枯れてボロボロでした。主原因は、残効性の短い薬剤を1回しか散布しなかったために、散布前に羽化・脱出した松くい虫成虫と残効性が切れてから羽化・脱出した松くい虫成虫の防除ができなかったことと、前年に枯れた松(次世代の松くい虫の発生源になる)の伐倒駆除がきちんと行われなかったために、松くい虫密度が異常に高くなったことだと思われました。枯れたまま放置されている松の中には、成虫の脱出孔(丸い穴)が10数個存在するものがありました。60年以上をかけて育成してきて、飛砂を防いだり、白砂青松の美しい景観を作ってきた松林が、科学を無視した宗教的な反農薬活動によって不十分な管理を余儀なくされ、そのためにこんな風に短期間に大量枯死してしまったのは残念です。

今日車で廻ったところは、偶然来週館山若潮マラソンで走るコースの一部でしたので、コースの下見にもなりました。帰りは松戸までレンタカーを運転して、松戸で返却しました。