2012年2月5日日曜日

私が2月3日のブログで裁判で役に立つ情報があれば弁護団に提供して下さいと唐突(とうとつ)に呼びかけたことに呼応して、ある支援者から以下の情報提供がありました。ありがとうございました。
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市橋さんが住み込みで神戸の寮にいた時に、自分の部屋の壁に書いたとされる落書きですが、十字架の絵と、赤字で小さく「神は主である」と書かれてあります。(雑誌からの写真なので見にくくてすみません)(本山:写真は省略
当時ワイドショーやニュースなどでもずいぶん報道していました。私も当時これを見た時、逃亡はしてしまっていたけれど、懺悔(ざんげ)の気持ちを持ち続けていたんだなと感じました。この落書きの意味は、はっきりとはわかりませんが、罪の意識から祈らずにいられなかったのでは…と思います。先日の裁判では、市橋さんの反省の態度を、減刑のためのパフォーマンスだと指摘されていましたが、この落書きを書いた頃は逃亡中であり、市橋さんの本心なのではないかと思いました。裁判で急に態度を変え、反省し始めたのではないということが、少しでもわかってもらえる材料になれば…と思ったのですが…。

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市橋君がどういう宗教観を持っているか、私は全くわかりませんが、彼がある支援者に差し入れてほしいと要望した佐野洋子作・絵の「100万回生きたねこ」は、読む人によっていろいろなメッセージが受け取れる素晴らしい絵本だと思いました。この絵本を差し入れてほしいと言った市橋君は、多分、永遠の心の安らぎを求めているのかなと想像します。(ちなみに、この支援者は先週の金曜3日に売店で購入した食料品やカイロ、スケッチ用の用紙とともにすでに差し入れをしましたので、絵本は明日6日には本人の手に届くそうです。)
十字架の絵と、「神は主である」という言葉が、市橋君が落書きしたのだとしたら、多分、弁護団がその真意についてすでに市橋君に確かめたのではないかと思います。上記支援者の推察通り、逃走中の市橋君が、自分の犯した取り返しのつかない罪について深く悔いて、どうすれば罪を償えるか絶対的な神に問い続けていたのではないでしょうか。

法律や裁判については私は全くの素人ですが、裁判の一番のポイントは殺意の有無をどうやって証明するか、ということではないかと思います。市橋君は、強姦後に監禁していたリンゼイさんが夜中に逃げ出そうとして大声で騒いだので、どうしていいか分からず咄嗟(とっさ)に後から腕を回して口を塞いで声が出ないようにしようとし、抵抗されてその腕が口からずれて頸(くび)に当って、結果として窒息死してしまったけれど、市橋君にしてみれば殺意などは全くなかったというのは正直な気持ちでしょう。腕が頸に当っていた時間は長くても1分以内だったという市橋君の感覚・記憶が正しいとしたら、それを今から法廷でどうやって証明できるのか、また窒息死するには頸を3~5分絞め続けることが必要という法医学的常識との矛盾をどう説明できるのか、ということが難しい課題になるのではないでしょうか。そうだとすれば、もし1分でも死に到る場合があると証言してくれる法医学者が本当にいるとしたら、弁護団はそういう情報を提供してほしいのではと想像します。きちんと法廷で証言して証明できなければ、裁判には価値のない情報ということになります。検察側は、法医学の常識を根拠に、3~5分も頸を絞め続けたことを殺意があった証拠とするのでしょうから。
今回の事件は、市橋君自身が悪いことをしましたと認めて謝っているので冤罪(えんざい)事件ではないようですが、殺意についてはいくら市橋君がなかったと正直に話しても(私はその通りだろうと信じます)、それを法廷で証明できないというところが裁判の難しいところなのでしょう。

今日は自宅で一日中パソコンに向かって、追われている論文原稿の執筆をしましたが、ストレスが溜まらないように午後から江戸川堤防に出かけて14Km 走ってきました。まだ今夜と明日の午前中の時間がありますので、何とかなるでしょう。午後からは、東京都小平市にあるFAMIC(農林水産省消費安全技術センター)の農薬検査部(旧農薬検査所)を訪問する約束があります。