2012年3月2日金曜日

今日は、面会の時に市橋君に頼まれた千葉大学時代に空手部と研究室で一緒だった友人からのメッセージを、A4の紙にプリントし、二人のお子さんと一緒に写っている最近の写真も同じページにプリントして宅配便で東京拘置所の市橋君宛に送りました。友人にも市橋君からのメッセージをメールで伝えました。本間 龍氏の [「懲役」を知っていますか?-有罪判決がもたらすもの] も同封して差し入れました。控訴裁判が結審して受刑生活が始まる時に、どういう生活が予想されるかある程度は知っておいた方が不安感が少しでも小さくなるのではと思ったからです。私からの送り状には、「私はもうこの6月で70才になるので先が見えているけど、君はまだこれから何十年も生きるのだから、前向きに考えて、許される範囲内で有意義な生き方をして下さい」と書きました。

「市橋君の適正な裁判を支援する会」の今後について、支援者から次のお便りが届きました。ありがとうございました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
いつも本当にお世話になっております。先程ブログを読ませて頂きました。「市橋達也君の適正な裁判を支援する会」が設立され、もう2年なのですね・・・。時の流れの早さを感じると共に本山先生のご尽力に心から感謝しております。先生が代表となり支援金をまとめ、色々な情報を教えてくださったおかげで私を含めた遠く離れた所からの支援者がどれほど安心できたことでしょうか。本当にありがとうございます。
以前、先生に結審後のお話を少しさせていただいたことがありますが、控訴審において市橋さんと弁護団の先生方の主張が通り、裁判が結審した後も私は息長く市橋さんを支援していきたいと考えております。ですから「市橋達也君の更生を支援する会」を新たに発足させて、お互いに連絡を取り合いながら息長く彼の受刑生活を見守り、応援していく、という一案に賛成です。ただ新たな会の発足により、お忙しい先生のご負担が続いていくのではないか・・・というのが私の気がかりでもあります。
私自身、先生と出会えたことは私の人生の中でとても有りがたく幸せな事でありましたので、このご縁に感謝しつつ今後ともご連絡をとらせて頂きたいという想いです。これから長く受刑生活を送られる市橋さんには身元を保証し支えていく方々が必要だと思います。
お身内の方々の積極的なバックアップが難しいのであれば尚更、支援活動の存在と存続が不可欠だとも思います。
(あるサイトで受刑者の等級が上がれば面会時間など色々な待遇も良くなるし、社会復帰も早くなると書いてありました。しかしながら、その為には身内の方々などの身元引き受け人の積極的な対応が必要とのことでした)下記の通りです。

【アトム法律事務所|刑事事件 刑事裁判に強い弁護士 東京 大阪】
『5.等級について
等級はおよそ3段階あり、刑務作業の内容、身元引受人の存在等が判断材料となって昇級が検討されます。小型、中型、大型の順に昇級します。小型から中型に昇級した段階で手紙の発信回数が月4回から5回に、面会回数が月2回から3回に上がったというケースがあります。また、大型に昇級した際に、面会に刑務官の立会いがなくなり、会話を別室で聞かれるという扱いになることもあります。手紙に関しては、大型になると刑務官のチェックが緩くなり、場合によってはチェックがなくなることもあります。昇級は、刑務作業で高度な技術を要するもの、作業結果に高い評価が与えられるものについては大きく影響します。ただし、昇級した後に刑務作業が全うできない場合には降級することもあり、そうなれば制限もまた厳しくなってしまうため受刑者は気をつけなければなりません。身元引受人がしっかり存在することも昇級のために重要な要素となりますが、これは手紙や面会でアピールすることができます。①頻繁に身元引受人から手紙が届けられる、②受刑者もその者に制限回数いっぱいまで発信している、③面会の制限回数をすべて身元引受人との面会に使用している等により、刑務官に対し釈放後の生活に不安をもたせないような印象を与えることができます。』

これを読むと私はどうしてもまだまだ息の長い支援活動の重要性を感じます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
本山先生、支援金の振込みを10日で締め切ることについて私は異論はありません。この会の趣旨は裁判費用を支援するために立ち上げたのです。控訴審が結審すれば本山先生の書かれている通り、「――支援する会」もお開きになるのも理解できます。
あくまで私自身の意見ですが、本山先生も本来の仕事に戻ったほうが良いのではと感じます。市橋君の支援活動でかなりの精神的・肉体的な負担がかかったはずです・・・。一支援者として本山先生に申し訳ないという思いでいっぱいでした。市橋君の窓口みたいな役割になっていましたし。少し市橋君から離れて、ローマ滞在中に話がでたヨルダンに指導をしに行くのもいいでしょうね。
他の支援者の方はどのような意見なのかはわかりませんが、ただ、個人が連絡を取り合って・・・の方法はよくよく考えて行動しないとネット上で嫌がらせをされる可能性があるのが怖いです。そしてその仲間に入りたい支援者がいても、その人達に連絡をとる事ができるのでしょうか? 正直私も「――支援する会」が無くなるのは寂しいです。市橋君のお陰で本山先生を知る事ができ、実際にお会いする事もできました。本当に感謝しています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
3月に入りました。次第に春が訪れております。ご活躍のご様子、いつも感服しております。本日、少額ではございますが送金させていただきました。またご確認いただけますと、ありがたく存じます。
市橋さんが、東京に移送されたとのこと。面会時間を含め、多少とも千葉より待遇が良くなればと思います。そして何より、控訴審では市橋さんの意見も十分に聞き届けられ風評に左右されない判決が下されることを信じ、願っております。他の方からもご意見があったようですが、もし、先生に過重なご負担がかからないようであれば、「更生を支援する会」として継続を希望いたします。刑務所での年月は、長くつらいものと察します。
時に落ち込み、自暴自棄になることもあるでしょう。そんな時、たとえ他人であっても、市橋さんのことを思い、心配し、更生を願っている者がいる-ということは、どんなに励みになるかと思います。また、刑務所側にとっても、「支援者がいる受刑者」であることは、それだけの評価にもつながる事項であろうと思います。
本当は、市橋さんのご両親、あるいはお姉さまが市橋さんを赦し、支えてくださることを強く望んでおりました。今もその気持ちは変わりませんが、どうも実現は無理なようですね。私には子どもがおりませんから、そういった形の愛情に疎いのですが、もし私なら・・・私なら、赦すだろうと思うのです。身から出た錆かも知れません。が、市橋さんを不憫に思ってしまいます。他人が、どこまで肉親の代わりになれるかわかりませんが、多少なりとも市橋さんの支えになれればと思わずにいられません。
時節柄、くれぐれもご自愛くださいませ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

先日、レスピーギの「ローマの松」という曲について教えて下さった方から、次の情報が届きました。ありがとうございました。私もネットで調べてみたら次のサイトで一部試聴できることがわかりました。早速CDを注文して、ローマの町で見かけた松を思い浮かべながら聴いてみようと思います。
http://plaza.rakuten.co.jp/anotherbright/diary/201002030000/
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 お忙しい中、返信ありがとうございました。ローマの会議中、懐かしい出会いや、偶然の出会いもあり、実り多い時を過ごされたことが、先生のブログでよくわかり、楽しかったです。
さて、レスピーギの「ローマの松」ですが、レスピーギは19~20世紀のイタリアの作曲家なので、普通のクラシック音楽のくくりでもなく、あまり知られていない曲だと思います。しかも、彼は「ローマの噴水」「ローマの祭り」とこの「ローマの松」を同じ頃に作りましたが、「ローマの松」だけが、彼の作品の中では良く演奏されます。といっても、もともと管弦楽のために作曲された交響詩ですが、現在は吹奏楽団が演奏する機会が多く、吹奏楽コンクールでは年中出てきます。だから、ピアノを習ってる人より、高校などで吹奏楽クラブに所属してる人の方がこの曲に詳しく、マニアックに好きな人が多いと、私は思います。
第1部  ボルゲーゼ荘の松
第2部  カタコンブ付近の松
第3部  ジャニコロの松
第4部  アッピア街道の松・・・・一番人気はこの曲で、これだけ単独でも演奏されます。
ウィキペディアの受け売りですが、下記の記事は興味深いです。素敵な文章です。


またレスピーギは1926年1月15日に、みずからフィラデルフィア管弦楽団を指揮してこの曲を演奏するにあたり、プログラムに次のように書いている。「『ローマの松』では、私は、記憶と幻想を呼び起こすために出発点として自然を用いた。極めて特徴をおびてローマの風景を支配している何世紀にもわたる樹木は、ローマの生活での主要な事件の証人となっている」 つまり、彼はこの曲で単に松のことを描こうとしたわけではなく、松という自然を通して古代ローマへ眼を向け、ローマの往時の幻影に迫ろうと言う意図をもっていた。そのためこの曲には、グレゴリオ聖歌などの古い教会旋法が好んで使用され、古い時代への郷愁と過去への幻想が効果的に生かされている。

作曲家が、20世紀に生きながらも古代時代を想い、表現した曲が、21世紀に生きる人々に感銘を与えてることが素晴らしい、と思うのです。だから、こじつけかもしれないけど、市橋君には罪を償う現実を受止めながらも、これまでの経験や学んだ知識をもとに、今は見えていないものをさらに見つめ、自分を高めることができると信じます。
彼には、健康な身体も知能も目も耳も手も足もあります。さらに他の人に贈る何かを産む力もあると思います。控訴審を前に、抽象論は意味無いのですが、毎日の刑務所内の生活の中で、彼は何かを産むと思います。音楽ではないでしょうけど、文章か絵か工芸作品か庭園デザインか何かわからないけど、芸術品を産む人のように思えます。
またまた「ローマの松」から脱線して、私の妄想ですみません。どうもイタリアンタイムでの毎日(単に宵っ張りで寝坊)で、イタリアに行くには時差ボケもなく便利です。読む先生を考えず、色々勝手きままに書く失礼をお許しください。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・