2012年2月29日水曜日

地下鉄千代田線の綾瀬駅は松戸駅から3つ目ですが、そこから雪道を歩いて東京拘置所にはちょうど12時半頃に着きました。周りは10何階建ての大きなマンションがたくさん林立している環境で、東京拘置所もそれらに負けないくらい近代的なりっぱな高層の建物でした(目印は屋上に巨大な円盤状の物が見える建物)。面会の受付の入り口を探すのに、ウロウロ歩き回ってやっとたどり着きました。待合室では遠方から来られてちょうど同じ時間に到着されたお二人の支援者とお会いしました。待合室の売店は千葉刑務所のよりは品ぞろえが多く、明るい感じでした。お二人は差し入れの手続きをされ、私は面会の手続きをしました。雪のせいか面会者は多くなく、私は午後の一番でした。市橋君は10階に収容されているらしく、エレベーターで10階に昇り、10階の受付に面会許可証を提出すると、何番の面会室(各階ごとに複数の面会室がありました)に入って下さいと指示されました。東京拘置所には3,000人もの未決者・既決者が収容されているようですが、面会室が各階ごとにあるので、千葉刑務所では8分だった面会時間がここでは15分(家族は20分)もありました。

市橋君は刑務官と一緒に仕切り板の向こう側に入室し、刑務官は隣の少し高い位置の椅子に座りました。市橋君は黒のダウンジャケットを着ていて、一目見て顔色がいいなと思いましたが、いつものようにどうだ元気にしていたかと訊いたら、はいと答えました。今日は支援者からメッセージを預かっていたので、忘れないように伝えることや言いたいことを紙にワープロで打って持っていきました。支援者の気持ちは変わっていなくて、寒い中、体調に気を付けて万全な態勢で裁判に臨んで下さいという〇〇県の支援者からのメッセージを伝えました。また、支援者の〇〇さんが27日に書いた手紙は移送の前に届いたかと訊いたら、届かなかったと答えました。多分、遅れて東京拘置所に送られてくるのでしょう。

今日は外は雪が降っていることを伝えたら、屋上が広い運動場になっていて、毎日30分間運動の時間があるので行ってみたら雪があったので今日はできなかったけど、これからは体を存分に動かせますと答えました。帰りがけに下から屋上を見上げてみたら、確かに各棟の屋上には金網がドーム状に張ってあって、あの下が運動場になっているのだなと思われました。ただ横の壁が結構高いので、空は見えて外の空気は吸えても、周囲のマンションや外の景色は見えない構造になっているように見えました。

千葉大学時代に空手部でも研究室でも一緒だった友人から託されたメッセージを読んであげたら、市橋君の目が潤(うるお)ってきて、心を動かされていることが明らかでした。この方からは二人のお子さんと一緒に撮った最近の写真も送っていただいたので、A4の大きさにプリントして透明のプラスチックファイルに挟んで、わざと彼の目の届く位置に置いて見せました。千葉刑務所では以前写真やプリントしたものを見せようとしたらルール違反だと刑務官に止められましたので、何も言わずに写真を市橋君から見える位置に置いたら一生懸命見ていましたが、刑務官は何も言いませんでした。友人が結婚したことを知らなかったらしく、結婚したのですかと訊いたので、そうだよと答えました。市橋君は、友人に迷惑がかからないようにして下さいと言いながら、私が読んだメールの手紙を差し入れしてもらえますかと言ったので、そうすると約束しました。自分の手に取って何回も読み返したいと思ったのでしょう。最後に、友人に「ごめん」と伝えて下さいと言いました。

今日は、寝間着代わりに冬用のトレーニングウエア防寒用ダウンジャケットを差し入れしてくれた〇〇県の〇〇さんと〇〇さんが差し入れに来てくれているので、後で会うことになっていると伝えました。支援者からたくさん手紙が届いている筈だが返事は書いているのかと訊いたら、書いていませんと答えました。万が一にでも手紙が人目にさらされるのを極端に避けたがっているように感じました。

テレビ番組制作会社から打診されたいくつかの質問を読んで回答するかと打診したら、お断りしますと即答しました。

先週は国際会議でローマのFAO 本部に行って、町の中をジョギングしながら見てきたことを伝え、古い遺跡があちこちにあることや、建物が昔風なことや道が狭いことを説明したら、道は石を敷き詰めた石畳ですかと訊き直しました。松の木もあちこちにあったけど、日本と樹形が違うので案外向こうの景色と合っていると感じたことを話しました。君は千葉大学にいた時は日本庭園とヨーロッパ庭園とどっちが好きだったのだと訊いたら、ヨーロッパ庭園ですと答え、園芸学部では入り口にクスノキの大木があった洗心館前の庭がイギリス式庭園で、彼のいた研究棟前の広い芝生の庭がフランス式庭園でしたと説明してくれました。イタリア式庭園があったかどうかはわからないが、事務棟の前にあるのがそうかなと私が言うと、自分もわかりませんと答えました。京都で見たどこどこ(私には聞き取れませんでした)の日本庭園も自分は好きでしたと言いました。こういう会話をしている時の市橋君の目は生き生きしていました。ちょっと残酷だったかもしれませんが、君なんかだったら、ローマの遺跡で庭園がどうデザインされているか興味があるだろうなと言ったら、興味はものすごくあるけど、もう今の自分にはどうしようもありませんという仕草をしました。
約束した空手の本と本間 龍氏の本と最近の支援者リストを差し入れすることは、忙しくて延び延びになっているけど忘れてはいないからと言ったら、構いませんと答えました。

最後に何か困っていることや私にしてほしいことはあるかと訊いたら、昨日身柄が移送されてきて、その後洗面用具などの私物も届いたけど、肝心の裁判資料だけが届いていません、裁判も近いので心配ですと言いました。面会が終わってから、すぐ菅野弁護士の事務所に電話をしたら外出中でしたので、何故裁判資料が届かないのか調べて下さいと伝言を依頼しておきました。

面会中に刑務官ともここは面会時間が長くていいという会話もしましたし、千葉刑務所に比べて建物も新築で明るいということもありますが、面会をする者や面会を受ける者にもよく配慮がされているという印象を受けました。市橋君も元気だなという印象を受けました。
面会後に、1階の待合室で待っていて下さった支援者と一緒に歩いて綾瀬駅まで行って、近くの喫茶店で夕方5時半くらいまでお話をしました。