2012年4月6日金曜日

朝10時ちょっと前に綾瀬駅について、西口改札で約束していた支援者の到着を待ちました。間もなく到着されたので一緒に東京拘置所に行きました。支援者の方は拘置所の前にある外のお店に立ち寄って差し入れ品の注文をしました。11日(水)の判決後も、受刑する刑務所に移されるまで数日は東京拘置所に滞在する可能性が高いということから、弁当を12日(木)、13日(金)、16日(月)に配達されるように手配したとのことでした。私は面会の受付窓口に行って申請書を提出しました。今日は1階の待合室で順番が来るまでしばらく待たされました。運動中とか入浴中というアナウンスはありませんでしたが、もしかしたら私に見苦しい顔を見せないために髭(ひげ)を剃っていたのかもしれません。

指示された面会室に先に入って待っていると、市橋君が刑務官と一緒に仕切り板の向こう側の部屋に入ってきました。前回の時よりも明らかに顔色がよくなっていたので、おっ今日は少し顔色がいいなと声をかけました。弁護団はまだ来てくれるのかと訊いたら、もう来ませんと答えました。次に会えるのは、判決の日に裁判所でのようです。
空手の本は届いたかと訊いたら、はいと答えたので、この本は要らなくなったら返してほしいと私が言ったら、市橋君がこの本はずっと手元に置いておきたいのですがいいですかと訊いてきたので、いいよと答えました。空手は事件が起こる前に、市橋君が大学中に熱中したいい思い出の一つなので、彼にとってはこれから生きていく上で励みになるのかもしれないなと思いました。支援者リストの最終版も届いたかと訊いたら、届きましたと答えたので、支援者の名前が外に漏れて私が受けているような嫌がらせの目標にされないように、十分取り扱いには気を付けるようにと注意をしておきました。加えて、これだけ多くの支援者が君の事を思ってくれているんだよと言ってやりました。

耳の辺りまで伸びている市橋君の髪の毛を指差して、ウェーブがかかっているようだけど君は元々縮れ毛なのかと訊いたら、そうですと答えました。私も髪が少し縮れて寝ているので、子供の時から皆に猫毛(ねこげ)と言われたと話しました。拘置所内での散髪は自分から申し出てやってもらうのか、それとも黙っていても一定の間隔で拘置所側がやってくれるのかと訊いたら、2ケ月くらいでやってくれるようですと答えました。未決と既決で違うのかもしれません。

市橋君は黒のTシャツに黒のダウンジャケットを着ていました。寒くないかと訊いたら、まだ少し寒い日がありますがこれのお蔭で助かりました、ありがとうございましたと答えました。

今日は支援者の〇〇さんと一緒に来ていることを伝えました。前回〇〇さんと〇〇さんが差し入れに来られた時は、幸い暴風が激しくなって新幹線が止まる前に帰宅されたが、私は北千住駅で地下鉄が30分も止まったりして1時間かかって家に帰れたと話したら、先生はここに来るのにどれくらい時間がかかるのですかと訊いたので、松戸駅から綾瀬駅まで地下鉄で3駅だからすぐだよと答えました。市橋君は大学を離れてもう何年も経っているので、土地勘が薄れたのかそんなことも忘れているようでした。
弁当が差し入れされた日は拘置所の食事も一緒に出るのかと訊いたら、弁当が差し入れされた日は拘置所の食事は出ませんと答えました。拘置所の食事は当然ご飯も味噌汁も熱いのが出るのだろうが、弁当の時は冷たいままかと訊いたら、温めてから出してくれますとのことでした。拘置所の食事と弁当とどちらが美味しいかと訊いたら、それには答えずに、支援者のお気持ちに感謝します、もう十分ですと答えました。拘置所の食事でも自分は大丈夫ですと言っているように聞こえました。

来週どういう判決がでても、しっかり受けとめて、腐らずに前向きに生きるようにと言ってやりました。受刑するようになっても、許される範囲で生きる目標を見つけて、しっかり生きるように。罪を償うとはどういうことか-よく交通事故や事件で愛する子供を亡くした親が子供の為にも2倍しっかり生きなければと言うのを聞くが、リンゼイさんは君のせいで亡くなったのだから君もリンゼイさんの分も含めてしっかり生きていくことが罪を償うということだと思うよと言ってやりました。以前だったらこういう話題の話をしたら涙がポロポロこぼれて市橋君は声がでなくなりましたが、今日は冷静にかみしめるように聞いていました。

刑が確定して受刑するようになっても君のご両親は君に会いに来られないだろうが、私は君の親の代りだから、月に一度くらいは面会に来るからと伝えました。その時に支援者に伝えたいことや、私にしてほしいことがあれば言うようにと伝えました。保護司という制度があって、埼玉大学の空手部のOB(私より年長者)で、私が支援活動を始めたらすぐ電話で自分は保護司をしているので何か手伝えることがあったら知らせてほしいと言って下さった方がいることと、私も君の保護司になるように少しどういう制度なのか調べてみるからと伝えました。

その他にも2~3の話題について会話をしましたが、ここでは省略します。
今日の市橋君は落ち着きを取り戻していて、何度も私に感謝の気持ちを表し、面会時間が終わって私が部屋を出る時は、立ち上がって深々とお辞儀をしてありがとうございましたと言ってくれました。

10階からエレベーターで1階に降りて入り口に向かって長い廊下を歩いていたら、すれ違った黒人の青年が面会許可書を片手にWhere is fourth floor?(4階はどこですか)と訊いてきたので、Keep going and take an elevator.(このまま行ってエレベーターに乗るように) と教えてあげました。廊下が長くて何回か曲がっているので、エレベーターまで行くまでに不安になったのでしょう。東京拘置所の面会受付の横の壁には、日本語、英語、中国語、韓国語、インド語かバングラデッシュ語かパキスタン語など、何ケ国語かでの注意事項が掲示してありますので、ここには外国人受刑者も収容されているのでしょう。

今日は面会後、明るい気持ちで東京拘置所を後にしました。