2012年4月5日木曜日

午前中は自宅で論文の原稿を書いて、昼休みに江戸川堤防に走りに行きました。天気もよく、周辺の草花が一斉に咲いたり、緑色がだんだん目につくようになりましたが、私は往復6Km 地点で止めて帰ってきてしまいました。このところいつもそうですが、時間があっても、よーしもっと走ろうという元気がでません。歳のせいか、疲れているせいか、体重がまた増えてきたせいか、何か気持ちが晴れないせいか、・・? 明後日7日(土)には千葉大学走友会の練習会が松戸であって、皆で一緒に江戸川堤防を走る予定ですが、この調子ではとても皆について行けそうもありません。

走りに行く前に大学の道場でいつものように準備運動や筋力トレーニングを少しだけしましたが、その前に男子の更衣室とシャワー室があまりにも汚いので、両方とも先ず箒(ほうき)で掃(は)いて大きなゴミを除いてから更衣室はモップがけ、シャワー室はデッキブラシがけをして掃除をしました。学生たちは更衣室に何故土足で上がるのか、何故トレーナーや下着や靴を床に置きっぱなしにして1ケ月以上経っても取りに来ないのか、何故ゴミ箱が一杯になってもその上にゴミを積み重ねるだけで外に持ち出して捨てようとしないのか、シャワー室では何故シャンプーの空き容器を床にほかるのか、時にはヒゲを剃った後のカミソリまで床にほかるのか、更衣室に湯気がこもって壁も床もベトベトして後の使用者が気持ちが悪いのに何故入口も窓も密閉してシャワーを浴びてそのままにするのか、・・掃除をしながら情けなくなり、腹も立ってきました。自分のことしか考えられないこういう若者は、大学で教育を受ける以前の問題です。小さい時から親が勉強だけできればいい子いい子扱いして、社会生活をする上で必要な最低限のしつけすらできていないままで大学生の年齢になってしまった息子・娘たちが大勢いるということです。

先日の卒業生を送る会の時に、父兄代表として来賓席に同席しておられたお二人のお母さん(お子さんが2年生で在学中)にこの話をして、そんな親の顔が見たいと話しましたら、信じられないといった表情で顔を見合わせていました。もちろん千葉大学の学生全員がそうだと言う訳ではありませんが、私が勤務していた30年間、毎年そういう学生をたくさん見てきました。体だけ若者でも、いつまでもお母さんに尻拭(しりぬぐ)いをしてもらっている赤ん坊と同じです。

学生のこういう赤ん坊のような実態を見ると、1984年に当時の中曽根康弘内閣総理大臣の私的諮問機関として設置された臨時教育審議会(臨教審)の議論を思い出します。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%A8%E6%99%82%E6%95%99%E8%82%B2%E5%AF%A9%E8%AD%B0%E4%BC%9A
第一部会の香山健一(こうやまけんいち)委員(学習院大学教授)が非常に雄弁に個性重視/自己責任/競争原理/私学重視などを主張し、第三部会の有田一壽(ありたかずひさ)委員(日本クラウン社長)が道徳教育/教育の自由化反対を主張し、喧々諤々(けんけんがくがく)の議論が繰り返されました。結果としては香山健一委員の主張に沿った改革が行われましたが、あれから30年近く経って大学の現状を見ると、学生の精神年齢の幼稚化だけでなく、大学間の格差の固定化など、私たちが選択した道は果たして正しかったのか疑問が湧いてきます。

オレゴン州からノースカロライナ州に私の恩師故W.C. Dauterman 教授の奥さんに付き添って一緒に来ている長男のWalter Jr (多分43才の筈)の携帯に電話をして話をしました。私が初めてノースカロライナ州立大学に留学した1969年にはまだ赤ちゃんで、小学生の時には一時期私の空手の道場にも来ていました。私にとっては息子のような存在です。名門のシカゴ大学を卒業してからワシントンD.C.で上院議員のスタッフをしたり、Bar Test(司法試験)に受かってからは弁護士としてジョージア州アトランタで法律事務所に勤務したり、District Court Judge(地域判事)になったりしましたが、今は失業してオレゴン州でお母さんの世話をしながら一緒に暮らしています。経済関係雑誌のパートタイムライターのアルバイトをしながら、友人がカリフォルニア州でやっている法律事務所への就職活動をしているそうですが、一人では暮らせなくなったお母さんを置いても行けず、難しい状況のようです。それでも、将来を楽観視する姿勢を保って明るく話す声に少し安心しました。写真で見ると大分体重が落ちたんではないかと訊いたら、服用している薬の副作用で体内に水が保持されたが、今は40 l.b.(ポンド)=約18Kg 体重を落としたと言っていました。

明日は市橋君に、判決前の最後の面会に行ってくる予定です。