2012年4月3日火曜日

遠くから新幹線で来られるお二人の支援者と午後1時に東京拘置所で待ち合わせをする約束でしたので、北千住駅の東武伊勢崎線のホームに行ったらちょうど東京駅から着いたばかりのお二人と出会いました。一緒に小菅駅に行って、拘置所の差し入れ申請の窓口に行きました。面会は1日に1回という掲示がありますので、他の方の面会の機会を奪わないように私は今日は面会はせずにお二人が差し入れの手続きをされるのを待合室で待ちました。お二人それぞれの名前で差し入れをされていたので、売店の人に1日に2回差し入れが許可になるのかと訊きましたら、驚いたことに、問題ないと言われました。千葉刑務所では、支援者の一人が差し入れに行ったら先に差し入れした人がいたので差し入れできなかったと聞いていたので、刑務所によって規則が違うのかと信じられない思いでした。お二人は外の売店で弁当の差し入れの手続きもされました。土日・祝日は配達されないので、来週の9日(月)、10日(火)、11日(水)の夕飯用に各1食ずつ配達されるように手配されていましたので、これから差し入れに行かれる方は弁当の差し入れは無用です。11日は判決の日なので昼食用の差し入れはできませんが、市橋君が裁判所から帰ってきてからの夕食用にはいいということでした。刑が確定して受刑生活が始まると食べ物の差し入れはできなくなりますので、場合によってはこれが市橋君が食べられる最後の差し入れ食(弁当)になるかもしれません。お二人が2月29日に来られた時は大雪でしたが、今日は暴風でした。市橋君はお二人がまたわざわざ遠くから来て下さったことを知って、母親の愛情と同じ温かさを感じている筈です。

帰りは小菅駅から地下鉄日比谷線に乗って上野駅に行き、駅前のレストランで一緒に昼食を食べました。暴風で帰りの新幹線が止まらないかちょっと心配でしたが、比較的早めに帰宅の途につきましたので、夕方にはお二人から無事に帰宅できましたというメールが届き安心しました。拘置所構内では写真の撮影は禁止されていますが、小菅駅のホームから東京拘置所が見えたので写真を1枚撮りました。正面入り口に向かって左側面からの角度ではないかと思います。


3月30日と4月2日にやはり遠方から上京する機会に差し入れに行かれた支援者からお便りが届き、携帯電話から私に送信した筈のメールが届かない設定になっていたからと再送信して来られました。その中に、私が以前ブログで、支援金を振り込んだ方の中に本当の「支援者」と支援者を装った「支援者もどき」が紛れていると書いたことについて、自分もまさか「支援者もどき」と思われているのですかという質問の文がありました。ご自分が一番よくわかっている筈なのに、何故そんなことを訊かれるのか・・?
「市橋達也君の適正な裁判を支援する会」の趣旨に書いてあることに賛同して、市橋君に適正な裁判を受けさせるために支援金を振り込んで下さった方が「支援者」です。別の下心(したごころ)があって、私に信用させるために支援者の振りをして支援金を振り込んだ方が「支援者もどき」です。
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おはようございます。〇〇県の〇〇〇〇です。たった今東京から帰りました。お元気ですか?
東京に滞在中に差し入れなど、いくつかメールをその都度差し上げましたが、携帯から送ったせいでしょうか? どうやら先生のところに私が携帯から差し上げたメールは届いていなかった可能が非常に高いという気が致しました。それで3月30日(金)からの分のメールをここにコピーしておきます。それから、私は4月2日(月)にも、もう一度小菅に差し入れに行きました。4月1日(日)付で更新の先生のブログで、これからの支援者の差し入れ予定日が4月3日、4月6日、4月9日と拝見いたしましたので、多分他の支援者の方に迷惑がかからないだろう、大丈夫だろうとの判断でもう一度行きました。ですがこの日、実は差し入れに行かれた方がいて、私の方が先に済ませてしまったために断られた方がいたのならその方に謝罪しなければなりません。本当に申し訳なかったです。また先生を介して謝罪させていただきます。先生には本当にお手数おかけして恐縮しております。
それから、私は市橋さんに手紙を書いて4月2日付で金町の簡易郵便局に持って行きました。小菅と同じ葛飾区内だからという理由です。今、元気のない、覇気のない市橋さんに一刻も早く私のメッセージを届けたかったのです。まず、3月30日(金)の10:55の送信分からです。
    
本山先生へ
おはようございます。〇〇県の〇〇〇〇です。お久しぶりです。お元気ですか? 携帯から失礼致します。たった今、小菅で無事、差し入れを調達して参りました。初差し入れで緊張している私に係員の方、店員さんが一から丁寧に教えてくださいました。個装のお菓子(キットカット大×1、チーズおかき×1、森永キャラメル小×1)、缶詰(蜜豆×1)、A4の大学ノート×2、黄緑色のタオル中×1、現金7,777円(縁起担ぎで7のゾロ目)を調達して参りました。運動、読書、勉強の合間に気分転換に、そして気晴らしにつまんでくださったら嬉しいです。本当はお弁当やお花も差し入れようかと迷いましたが生ものなので止めました。本についても「書籍は要らない」と先生のブログで拝見しましたので今回は止めました。でも機会があれば英米文学などの原書を差し入れて気晴らしになればと思っています(私が学生時代に英米文学の先生から勧めて頂いた本を思い出して)。
私たち支援者のこういう細々とした支援が市橋さんにとってどのようにお役に立てられているのか・・・と思います。ナーバスになっていらっしゃる今の時期は特に・・・。「峠はもう少しで超えるので心を強く持って!支援者は皆、自分のことのように市橋さんを夜も眠れないくらい心配しています。大丈夫!市橋さんなら。先生の奥様や(空手や研究室を共にした)同窓生を思いやる優しい心をお持ちならきっと世間が市橋さんを解ってくれる日が来る!」と声を大にして言います。私が直接市橋さんの元に行き、そうエールを送りたい・・・。
以前先生がおっしゃった通り、拘置所の屋上には運動をするような場所があるように見えました(黒い網の様なものがかかっている場所が屋上でしょうか?)。そういう場所で運動し、先生が差し入れられた空手の本を片手に精神統一し、運動し、読書をし、英語の勉強をして、市橋さんは日々襲ってくる強烈な不安と戦っていらっしゃるのでしょうか?勾留者への差し入れや面会に訪れた方々は私の目には特に深刻そうではなく、普段街中で目にする人々と同じ平穏な様子に見えました。中には御家族と思われる方々もいらっしゃいました。今日は晴天で春らしい陽気に恵まれるとの昨日の予報が外れてどんよりとした肌寒い日になってしまいました。判決の日は春らしい陽気と晴天という天候に恵まれると判決も納得のいくものになる気がします。
ところで、先生のおっしゃった「支援者の振りをして振り込んだ「支援者もどき」…」について大変気になりました。具体的にどういう人のことでしょう? 支援者と「もどき」の違いは? 「支援者もどき」の定義は? 私はまさか!「もどき」と思われているのでしょうか?
私はこれからも、差し入れであれ、何であれ、私が市橋さんのお役に立てる最大限のことを細々ではございますが何十年でも続けていきます! もちろん判決後、受刑生活が始まってからもです! 市橋さんがどこの刑務所で過ごされるにしても、それが仮に日本の最果てであったとしても、私はいつでも市橋さんの元に(差し入れにしても何にしても)飛んで行きます! 時にはキツいと思われることでも市橋さんの更正に役立つことなら何でも引き受けます。先生や他の支援者の方々にご負担がかからないように「支援の会」が続けられれば・・・。「支援の会」にしても何にしても、私ができることは何でも致しますのでいつでも申し付けください。
最後に、無理をせず、お仕事に、ジョギングに、支援の活動にと頑張ってください。そして、先生も、市橋さんもお体にはくれぐれもお気をつけください。

次は3月30日(金)の22:43の送信分です。
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