2012年4月4日水曜日

ある化学会社の医薬事業部に勤務している古い卒業生から、もうすぐ定年退職するという挨拶状が届きました。私がアメリカから帰国して千葉大学に助手として着任したのは1978年9月で、その時彼は大学院修士課程の2年生でしたが、林学を専攻していた前の大学で2年ほど年を食っていましたので、26才だった筈です。当時36才だった私と一緒に、研究費も研究設備も恥ずかしいほど貧弱だった研究室で毎日夜中まで実験をやって、論文を書いたのは懐かしい思い出です。その後彼は3年間のアメリカ留学を経て、現在の会社に就職しましたが、確か仙台勤務や福岡勤務の時は家族を埼玉県に残して単身赴任で頑張っていました。お子さんたち(娘2人、息子1人)はもう成長して、自立しているくらいの年齢です。

挨拶状によると、3年前から福島県双葉郡浪江町の5.5haの畜産農家の土地と家を買って、牧草地に果樹の苗木を植えて定年退職後に備えて準備をしていたそうですが、原子力発電所の事故で計画的避難地域に指定されて住むことはできなくなったけど、埼玉県から時々草刈に通っているとのこと。放射能汚染で彼が生きている間には食べられる果樹の収穫は無理だろうとのことなので、すでに先が短い私なら放射能の影響よりも寿命の方が先に来る筈だから、汚染された収穫物を食べて人体実験の被験者になってもいいよと、冗談の返信をしておきました。

彼は田舎での晴耕雨読の夢をあきらめられずに、今度は福島県いわき市の里山に5千坪弱の土地と家を新たに買うことにしたとのことでした。敷地内の大きな岩の下からコンコンと清水が湧き出ているところが気に入っていて、のんびり自給自足の生活をするつもりですとのこと。
企業戦士として今までさんざん働いてきたので、定年退職後は、仕事のためではなく、お金のためでもなく、自分のための生き方をしたいのでしょう。

私の研究室を専攻してくれた元学生で、60才の定年を迎えた人はこれで二人目です。今日は東京農業大学から平成24年度の客員教授としての辞令が届きましたので、私はもうすぐ70才ですが、まだあと1年は現役として研究や講義や講演活動などに従事します。