2012年4月24日火曜日

学生時代の友人から託された市橋君宛の伝言と、35枚の写真(A4紙10枚に2~4枚ずつ印刷)と、私の添え状を差し入れするつもりで東京拘置所の窓口に行きましたら、手紙は差し入れできないので郵送して下さいと言われましたので、写真だけ拘置所の窓口で差し入れして、友人からの伝言と私の添え状は面会後にコンビニに立ち寄って明日の午前中に届くように宅配便で発送しました。以下は宅配便で差し入れした私の添え状です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2012.4.24
市橋達也君
明日25日は君が上告の意志表示ができる最後の日だな。裁判で、君が事実を述べたにもかかわらず虚偽の弁解と見なされたり、君が善意でした行為が逆に悪意に取られたりしたのだったら、私は君は最後のチャンスまで堂々と事実を主張すべきだと思うよ。
〇〇〇〇さんからの私宛のメール返信と君宛の伝言を同封します。彼女に何か返事をしたければ、私に言ってくれれば伝えます。昨日もこのメールを送信してくれた後で、電話をしてくれたので直接話もしました。聡明な素晴らしい女性だね。
事件以来、君はもう何年間も郷里には帰っていないだろうから、岐阜〇〇駅と〇〇駅と君が育った町の写真も同封します。確か20101月末だったと思うが、毎年この時期に私が大学院で勉強した名古屋大学の研究室の同窓会が開かれるので、その帰りにできたら君のご両親に会いたいと思って岐阜県の君の家を訪ねました。残念ながらご両親は君の件では誰とも会わないという姿勢を保っておられるのでお会いできなかったけど、ここが君が育った町だと想像しながら散歩をして写真を撮ってきました。君が一目見れば、あそこだ、ここだとわかるだろうな。それから、私の家族の写真と、君が〇〇さんとツーショットで写っている写真(〇〇さんが送ってくれました)も入れておくよ。君が青春のある時期を一緒に過ごした人だろうから。ミャンマーの子供たちの写真は、ある農薬会社を自主退社して、JICAのプロジェクトであちこちの途上国に行ったり、今回は日本財団のプロジェクトでミャンマーに3年行って学校建設や地域開発の仕事をして最近帰国した人(多分私より数年若いだけ)の挨拶状に添付してあったものですが、子供たちの笑顔があまりにも無邪気で素敵なので追加しておきました。
君が上告の意志表示をすれば、私がすでに打診をしてある〇〇弁護士と連絡をとって引き受けていただけるかどうか確かめます。山本弁護士とチームを組むのがよいと思います。もし上告をしなくて刑が確定しても、私はずっと君に面会をして君の更生を見守りサポートしていきたいと思っているので、必ず私にどこで服役するか連絡をして下さい。
本山直樹
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

市橋君は10階の面会室の仕切り板の向こう側に前回と同じ刑務官に付き添われて入ってきました。顔色は良かったのですが、縮れた髪の毛が鳥の巣みたいにボサボサだったので、部屋にはヘヤブラシはないのかそれともそれが君の好みのヘヤスタイルなのかと訊いたら、私が身だしなみのことを指摘したと思ったのか、すみませんと謝って、面会の呼び出しがかかるとすぐ部屋を出なければなりませんので(髪を整える時間がない)と答えました。裁判に出廷した時も同じ髪型をしていたので、多分これが彼の普通のヘヤスタイルなのかなと思いました。

〇〇さんから君への伝言がメールで届いたので、差し入れもするけど今読むからと言って全文をゆっくり読んであげました。市橋君は一字一句も逃さないかのように静かに聞いていましたが、何も言いませんでした。私は上の添え状で述べたのと同じように、君が納得がいかないのだったら最後のチャンスまで事実を主張するべきだと思うということと、もしそうするなら〇〇弁護士にすでに打診してあるからということを伝えました。市橋君は、自分はすでに言うべきことは全部言いましたと答え、それでもこういう判決だったのでそれを受け入れますというような表情をしていました。

私は写真を透明な仕切り板越しに見せながら、これが君が住んでいた街だろう、これが君の家だろう、これが近所のお寺や通りだろう、・・・、君はもう郷里に帰ることはできないかもしれないのでこれらの写真も差し入れするからと言いました。大学卒業後にお付き合いしていた〇〇さんとツーショットの写真を見せながら、君の青春の思い出だろうからこれも差し入れしておくよと言いました。私が1965年頃にデートをしていた時に彼女(現在の妻)とツーショットで園芸学部の洗心館の庭で撮った白黒の写真と、今年の4月に園芸学部の事務棟の前の満開の桜の下で撮ったツーショットの写真を見せて、47年前と現在の私と私のワイフだけど、これから私たちは君の親代りになるのだから、君に見せておくよと言いました。市橋君は、洗心館の前の庭の景色が47年前と今と同じなので驚いた風で、ずっと変わらなかったのですかと訊きました。そうだよ、建物の中は和室が洋室になったり少し変わったけど、建物自体やイギリス式庭園と呼ばれる庭は昔のままだよと答えました。洗心館(昔は戸定館と呼ばれた)は同窓会が寄付をした建物で、昔は卒業生が地方から上京した時に光熱水道代の実費だけで宿泊できたけど、国に移管換えしてから使い勝手が悪くなって、残念ながら今はほとんど利用されなくなっていることを伝えました。ミャンマーの子供たちの笑顔の写真を見せて説明をし、私の娘の家族の写真を見せ、ハーフの孫たちは父親の実家に行くとおじいちゃん・おばあちゃんにどうもアメリカ人の子供と少し違う感じがすると言われ、母親の実家(私たち)に行くとどうも日本人の子供と違う感じがすると言われているという話をしました。私が1965年頃に新入生勧誘の空手のデモンストレーションで上半身裸で空手の型をしている写真を見せ、これはナイハンチという型だよと教え、当時は教養部が西千葉ではなく稲毛(いなげ)にあったので、これは多分稲毛キャンパスの筈だよと説明しました。1993年に私がサウスカロライナ州に住んでいるアメリカ人の友人の家を訪ね、牧場の牛の水飲み場になっている池で魚(ラージマウスバス=ブラックバス)を釣り上げている写真も見せ、私は毎年アメリカに行く時は必ずこの友人を訪ねて一泊してくるんだよと言いました。江戸川の堤防の斜面一面に咲いている真っ黄色な菜の花の写真と、白い小さな花が一杯咲いているユキヤナギの写真も見せ、これが前に私が言った(小菅の駅から拘置所に来る途中で見た)ユキヤナギだよと言いました。先日支援者の〇〇さんがお墓参りの帰りに園芸学部に寄って、君の研究室があったA棟の横の桜と、前の小さな庭にある白い大きな花が咲く木の写真を差し入れてくれただろうと言って、あの木はタイサンボクという名前だったかなと訊きました。市橋君はあの甘いいい匂いがする花ですねと言いながら、木の名前については自信がなさそうでした。
写真を見せて話をしている時に、いつもは下を向いて目を合わせないように配慮をしてくれている刑務官が頸を伸ばして横から覗き込むようにしていました。途中のゲートでチェックされてパスしているので写真に問題はない筈ですが、興味があったのでしょう。市橋君に、写真については不要だったら全部処分してもいいからと指示しておきました。そうしたら、よく聞き取れませんでしたが、目立たないように(刑が確定後に同室者にという意味か?)保管しますと言ったようでした。

市橋君は黒のスポーツウェアみたいな上着を着ていたので、あれっそれは又別の上着かと訊いたら、ジッパーを外して見せて以前はこうして前を開けていましたが同じものですと答えました。下には白い丸首のTシャツを着ていました。その日の気温に応じて衣類を組み合わせて着て調節しているようでした。私が、刑か確定すれば刑務所から支給される衣類を着るだけだから、もう衣類の心配もいらなくなるし、食事の心配もいらなくなるなと言ったら、そうですと答えました。

東京農業大学で陸上部がグランドで練習するのを時々立ち止まって見るが、駅伝をやる人たちは長距離を延々とものすごいスピードで走り続けているけど、短距離をやる人たちはハードルを狭い間隔でたくさん並べて歩きながら右脚・左脚で跨ぐ練習をしているよ、君も高校の時はああいう練習をやったのかと訊いたら、自分はハードルですからよくそういう練習をやっていましたと答えました。それから、小さいコーン(三角形)やハードルの形をした小さな道具を短い間隔にたくさん置いて、両足交互に小股で猛スピードで跨ぐ練習は足の神経を発達させるのが目的なのかなあ、などと陸上競技の練習方法について会話をしました。拘置所で運動をする時は縄跳びはできるのか、縄跳びができれば狭い場所でも跳躍力や心肺機能を効率的に活性化できるのにな。ひも状のものは自分の頸を絞めて自殺に使われる恐れがあるので駄目だというのだったら、運動場に出て運動する時間だけでも貸し出してくれればいいのになと私の感想を言いました。

今日は上告とは関係のない他愛のない会話に大半の時間を費やしましたが、刑務官が時間ですよと身振りで知らせてくれましたので、もし今日私が期待している君のご両親からのお手紙と写真が届けば明日それを差し入れるためにもう一回面会に来るけど、もし届いていなかったらもう私は来ないからと伝えて、元気でなと言って部屋を出ました。市橋君はいつものように立ち上がって深くお辞儀をして、ありがとうございましたと言って見送ってくれました。
自宅に着いて妻に何か届いているかと確かめましたが、何も届いていませんでしたので、明日は面会に行きません。明日市橋君が上告の意思表示をするか、刑が確定後に私を更生に必要な面会人として申請してくれないと、もう私が市橋君に会いに行くことはできなくなります。友人からの伝言と私の添え状は明日の午前中に拘置所に届く筈ですので、後は市橋君がどういう判断をするかです。