2012年4月12日木曜日

昨日傍聴に行かれた支援者から以下のお便りが届きました。
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昨日の控訴審閉廷後にお電話でお伝え致しましたが、傍聴券の抽選に当たり、傍聴出来ました。今まで傍聴した別の事件の控訴審は、5分~10分程で閉廷しましたので、今回もそう思っていましたが、1時間位かかりました。
市橋達也さんは、入廷後直ぐに裁判長から証言台の前に呼ばれました。そして判決が言い渡され…その後イスに座りましたが、微動だにせず、ずっと俯いていました。裁判長は、控訴趣意書について述べました。控訴棄却されましたので、当然な事なのでしょうが、ことごとく否定され悲しくなって来ました。市橋達也さんの証言は信用されないままで、一審より厳しく感じました。ある程度覚悟をしていたかも知れませんが、全てを受け止めるのは、相当辛かったと思います。彼の精神状態が心配です。
本日(4月11日)傍聴して、上告も改めて厳しいと感じました。ただ先日もお伝えしましたが、たとえ無期懲役のままだとしても、出来る限りの事をして、市橋達也さんが少しでも納得された上で、気持ちを切替て受刑し、罪を償って欲しいです。
本日、面会に伺われるご予定との事で、彼の精神状態により、今後のお話も出来るか分かりませんが、本山先生とお会いして、安らぐ気持ちになればいいなと思います。頂いたメールで、本山先生がご心配されましたように、今後誰とも面会されなかったり、支援も受け入れない気持ちになるのではと、私も心配です。その場合でも受刑後、気持ちが変わるかも知れませんし、どのような支援が出来るか分かりませんが、ずっと見守りたいです。

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市橋君に面会に行く前に友人の弁護士に電話をしました。今週9日(月)に菅野弁護士と電話でお話した時に、現在の弁護団は判決で例え控訴棄却で無期懲役になってもこれ以上の控訴は考えていない、もし控訴する場合は新しい弁護士が新しい考えで控訴する必要があるとおっしゃったので、友人の弁護士に事情を説明しました。もし市橋君が最高裁への上告を希望した場合は、弁護料は募金で手当てするから弁護を担当してくれないかと打診してみました。彼は私と高校の同級生で、東大法学部を卒業して司法試験に合格して長年裁判官をしていましたが、現在は郷里の埼玉県で弁護士として活動しています。ということは私と同じ年齢(今年70才)で、今抱えている問題に決着をつけたらそろそろ自分の時間を作りたいということと、自分は民事を担当してきたので刑事裁判は得意の分野ではないということで、遠慮したいと言われました。代わりに、埼玉県弁護士会の中に刑事事件を中心に扱っている優秀な弁護士を知っているので、紹介することはできるとのことでした。

私自身は昨日の裁判を傍聴できなかったので、ネットで各テレビ局のニュースを再生したり、各新聞の報道をチェックして、判決の主な理由を整理してみました。必ずしも正確ではないかもしれませんが、昨日の判決の主な根拠は次のように3つあるように感じました。
1.市橋君のしたことは欲望のままに行った残忍な犯罪で、その結果 被害者に取り返しのつかない大変な苦痛と無念を与え、被害者遺  族をも耐えがたき悲痛な状況に追い込んだ。
2.殺意はなかっと言っても3分以上頸部を強く絞め続けたことは殺意 があったのと同じである。
3.市橋君には真摯(しんし)な悔恨(反省)の態度が認められない。そ う判断する根拠は、
 ① 事件後に逃亡を続け、整形手術をしてまで逃げ通そうとした
 ② 手記の印税を被害者遺族に提供して刑の軽減を画策した
 ③ 虚偽の弁解-1分以上は頸部を締めてはいないと嘘の証言をし   た
ということかなと想像しました。こういうことを頭に入れて、市橋君に面会に行きました。

初夏のような陽気でしたので、綾瀬駅から東京拘置所まで20分くらい歩いたら暑くて汗をかいたので、途中で薄手のウィンドブレーカーは脱ぎました。もしかしたら今日は面会を拒否されるかもという一抹の不安もよぎりましたが、市橋君はいつものように10階の面会室に刑務官に付き添われて入ってきてくれました。顔色も表情もそれほど判決のショックでやつれてはいませんでした。今日は黒のTシャツの上に濃紺の厚めのセーターを着ていました。
大丈夫かと声をかけたら、はい大丈夫ですと答えました。昨日の裁判を私は傍聴に行けなかったけど、傍聴した支援者の〇〇さんから様子を聞いたり、ニュースで判決の内容を知ったことを伝えました。その上で、君はこれからどうするつもりか、控訴を希望するのかそれともこのまま受刑に入るのかと訊きました。市橋君はうつむいて、何も言わない時間がずい分続きました。判決前に菅野弁護士と話をして、現在の弁護団は控訴をしないし、控訴をしても判決が変わる可能性は低いと言われたことを告げました。山本弁護士とも話をして、もし君が希望するなら山本弁護士個人で控訴の手続きをしてくれるかもしれないと言われたことを告げました。さらに、控訴をするなら新しい考え方をする新しい弁護士の方がいいとのことなので、今日ここに来る前に私の友人の弁護士と相談をして、刑事事件に経験豊富な優秀な弁護士を紹介してもいいと言われたこと、その場合の弁護士料は支援者が支援を続けたいと言ってくれているので募金で手当てするつもりだということを告げました。昨日の今日なので、君もすぐには決められないだろうから、少し時間をおいてから返事をしてもいいよと話しました。市橋君は、昨日裁判所から帰ってきてから、刑務官からも2週間以内に控訴ができると告げられたと言いました。

市橋君はしばらく無言の後で、自分のしたことでリンゼイさんはもう帰らぬ人になってしまいましたと言い、だから自分ももう生きる資格がないというか、控訴をして有期刑を求めることは許されないのではというニュアンスのことを言いました。私は、君が判決に納得しない部分があってもやもやした気持ちのままで判決を受け入れるのはよくないと思うので、よくよく考えてから決めるようにと伝えました。そして上記の私なりに整理した判決の理由を説明し、1と2はその通りだとしても、3は事実と違うのではないのか、君はそれでもいいのかと尋ねました。市橋君は、自分は全てを正直に話しました(ここは強調していました)、しかしそれをどう判断しどう裁くかは裁判所なので、自分としてはそれを受け入れざるを得ませんと答えました。私は、裁判官も人なので感情に影響されて判断を誤まることもある筈なので、だから日本の司法制度には一審、二審、三審まで認められているのだから、納得がいかなければ最高裁に上告すべきだと思うよと言いました。
市橋君は、現行の無期懲役というのは終身刑(友人の弁護士によると、日本では死刑の次に厳しいのは無期懲役で終身刑という刑はないそうです)と同じで、死ぬまで刑務所から出ることはないということを知っていました。自分は全てを正直に話したけれど、悪いことをしてリンゼイさんを帰らぬ人にしてしまったことは事実なので、上記の2や3について納得がいかなくても、無期懲役という判決を受け入れざるを得ないと迷っているのかなと思いました。
先生にも大変迷惑をかけてしまいました、もう十分ですので自分のことは放念して下さいと言ったので、元教師の私が元学生の君のことを考えるのは当然であって、何も迷惑なんか受けていないよと言ってやりました。

今日の刑務官も親切で、あと1分ですと残り時間を告げてくれました。控訴をする期間が2週間あるといっても、担当する弁護士が今までの裁判の経緯を把握して上告の理由書を作成する時間も必要だろうから、2週間ギリギリに決断するのは駄目かもしれないから、私は来週もう一度面会に来るからそれまでもう一度よく考えておくようにと言って部屋を出ました。市橋君は立ち上がって、深々と頭を下げてありがとうございましたとお礼を言ってくれました。

今日は東京拘置所に行く前に、修理が終わったと連絡があったプリンター複合機をキャノンのサービスセンターに車で受け取りに行きました。途中、今朝の朝日新聞の千葉版に私とのインタビュー記事をかいた記者から携帯に電話があったので電話をとって話をしたら、パトカーに止められて6000円の罰金の納付書をもらってしまいました。記者は自分のせいで申し訳ないと謝っていましたが、車を路肩に止めて話をしなかった私の責任です。この記者は昨日の夕刊の全国版にも判決の速報記事を載せていましたが、今日の朝刊の千葉版には私の写真入りで大きな記事を載せました。だいたい取材通りの内容でしたが、一部勇み足で事実と異なる表現がありました。「支援金で弁護費用や衣類など身の回りの物を購入するのに使った」というところで、支援金は全額を弁護団に渡し、差し入れは支援者が個人個人で行ったというのが事実です。