2012年5月16日水曜日

私は東京農業大学には今は週に2回くらいしか行かないのですが、事務室に寄らないことも多いので、郵便物をチェックするのが遅くなってしまいます。今日は久し振りに寄ってみましたら4月22日からの郵便物がたくさん溜まっていました。その中のひとつを開いて見たら、愛知県在住の女性からの直筆のお手紙で、市橋君に諦めずに上告をするように伝えてほしいという内容でした。
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私も他の支援者の方々と同様、市橋君はうそをついていないと確信しています。そしてこれから本格的に始まる長い受刑生活、できる限り心穏やかに前向きに生き続けて欲しいと願っています。その為にもあきらめたり、余計な心配をしないで、与えられたチャンスを全て生かして、違うことは違うと言い続けて欲しいのです。一番苦しいのは市橋君だということはわかっていますが、「どうしようもない・・・」なんて言わないで、真実を訴え続けて欲しいのです。
支援者の方々は、誰一人市橋君に頼まれた訳でなく、皆さん同じ思いで市橋君を見守っているのだと思います。だから、あきらめないで・・・とお伝え下さい。
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この方は、住所も電話番号もきちんと書いてありましたので、早速電話をし、返事が遅れたことの失礼をお詫びするとともに、その後の市橋君の状況についてお話をしました。そういえば、以前大学の事務から、この方から私宛の手紙を送りたいがという打診があったという電話があり、私は自宅は公表していないが、大学宛に送ってもらえれば受け取ることは構いませんと答えたことを思い出しました。

市橋君の適正な裁判を支援する会の募金は3月10日までで締め切り、3月13日にゆうちょ銀行から全額を払い出して菅野弁護士にお届けしました。その後ブログの記事を見損なったと思われるお一人の支援者から3月29日に22回目の振り込みがされました。今日の午前中にゆうちょ銀行に寄って募金終了後に振り込まれた支援金を払い出して、振り込んで下さった支援者に礼状を添えて現金書留便で返却しました。何回にもわたるご支援をありがとうございました。

午後、来週の月曜に栃木県足利市の食品会社を一緒に訪問する予定の醸造学科の女子学生が私の研究室を訪ねてきて、東武伊勢崎線に乗る北千住駅での待ち合わせ場所を確認しました。正式の就職面接ではないけど(求人自体が発表されていないので)、卒業論文でどういう研究をやっているか、それはどういう意義があるのかなど訊かれる筈だから、ちゃんと答えられるようにしておくようにと助言をしたら、私に言われる前にちゃんとファイルを持参していて準備をしていると言っていました。こういう積極性のある学生は、会社の担当者も素質をすぐ見抜いて高く評価する筈です。

彼女に模擬質問でもして、練習を兼ねて受け答えの能力を試してみようかと思っていた時に、以前月刊「文藝春秋」の編集部におられて市橋君の問題について取材に来られた記者(今は「週刊文春」の編集部に移動になっていました)と約束した時間になり、時間通りに訪ねて来られました。直接指導した学生でもないのに、私が就職の世話をしているのを見て、私は基本的に学生の面倒をよくみる性格と思われたようです。週刊誌だと取材できる時間が短いので深く掘り下げた記事を書くのは難しいのではないですかと訊いたら、それには直接には答えずに、月刊誌は取材した記事の締め切りが月に1回だったのが、週刊誌に移ってそれが月に4回になりましたと言っていました。つまり、ゴシップ記事が多い週刊誌だからといって記事の質を落とす必要はないという編集部員としての心構えを主張したかったのかなと思いました。

前回の取材の時に宿題だった、市橋君は何故あんな判断力の欠如した馬鹿な行動に走ったのか、その真相を記録に残したい(出版したい?)という申し出でをされました。すでに裁判は終わりましたので、判決に影響するという心配はないのですが、肝心の市橋君自身がまだ冷静に語れる状態ではないのではと思います。それに、市橋君自身が誰にも知られずに受刑生活をしようと覚悟を決めているのだとしたら、事件の真相を語りたいかどうか彼の気持ちを確かめることすらできないというのが現実です。
この記者はなかなか慎重で、28日に私が菅野弁護士、山本弁護士とお会いした後に、もう一度訪ねてきたいとのことでした。