2012年5月14日月曜日

前回受けた人間ドックの検査結果で、要再検査と言われた項目の再検査のために病院に行って採血してもらいました。帰りに、ショッピングセンターの食料品売り場で妻が買い物をするのを待っていたら(荷物持ちを頼まれて)、思わぬ人から声をかけられました。最初どなただったか思い出せずに、どちら様でしたかと訪ねたら、昔千葉大学園芸学部で母娘で清掃員として勤務していた娘さん(と言っても今は50才近く)の方でした。私とは、体育館の掃除をして下さっている時に時々見かけて言葉を交わしていました。私が市橋君の裁判の支援活動をしていることをご存知で(多分テレビでご覧になったのでしょう)、市橋君はどうしてこんなことになってしまったのでしょうとおっしゃったので、学生時代の市橋君のことをご存知だったのですかと尋ねたら、何と赤ん坊の時からよく知っていて、おしめも取り換えたと言われて、びっくりしました。市橋君のお父様が東京で大学病院に勤務しておられた時に母娘で保育園に勤務していて、赤ん坊だった市橋君のベビーシッティングをしておられたとのこと。従って、当然ご両親のことも知っている(ご両親は自分たちのことを忘れられたかもしれませんが)とのことでした。市橋君は素直ないい子だったのに・・、と残念そうにおっしゃっていました。お母さんの方はもう亡くなったそうですが、偶然の出会いに驚きました。

午後からは、腎臓透析と3回の脳梗塞で長期入院している元同僚・友人をお見舞いに行きました。受付で面会票に記入していたら、ちょうど奥様も面会に来られて偶然一緒になりました。人間は3年も寝ているとだんだん心身が弱ってきて、私が話しかけてもただ天井を見ているだけでほとんど反応がない状態でした。今日は天気も良かったので、看護師さん・介護士さんに頼んで車椅子に座らせてもらって、私が車椅子を押して中庭に出ました。外の風が心地よく頬に当って、緑の木々や花壇や小さな野菜畑(患者さんがリハビリを兼ねてサツマイモを植えて水やりをしていました)を眺めました。垣根の隙間からは、敷地の外の田植えをしたばかりの水田と畔に咲いているあやめの花も見えました。奥様と私とでいろいろ話しかけている中に、友人の血色がよくなり、目が生き生きと輝いてきて、少しだけでしたが会話の応答ができるようになりました。ベッドの上で、一日中ただ目をつぶっているか天井を見つめているだけだと、人間は自然に衰弱してしまうけど、外の新鮮な空気を吸って、風邪を頬で感じて、緑の植物を眺めて、話をかけられれば、それが刺激になって生き生きとしてきたのは信じられないような変化でした。カメラを持参したので、生き生きした表情の友人と奥様と並んだ写真を撮ってきました。
奥様も、お見舞いに来て会話ができずに帰る時は疲れがどっと出るけれど、今日のように主人と会話ができた時は嬉しくて幸せな気持ちで帰れますとおっしゃっていました。

栃木県足利市の食品会社は、来週月曜日に東京農業大学の醸造学科の女子学生と一緒に訪ねることになりました。私が直接指導した学生ではありませんが、就職難の時代ですので大変喜んでいました。専務取締役の元学生も喜んでくれて、市内の見学や会食もアレンジしてくれているようです。お見合いを世話する仲人のようなものですが、学生にとっても、会社にとっても、お互いによい出会いになればいいなと思っています。