2012年5月13日日曜日

支援者から以下のお便りが届きました。今のところ、市橋君宛に手紙を郵送されている支援者のどなたからも手紙が届かなくなったという連絡はありませんので、市橋君はまだ東京拘置所にいて受刑生活をしているものと思われます。
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いつも先生のご活躍をブログで拝読し、嬉しく思います。周りの方々は、先生が市橋君の支援活動をなさっていることを認めた上で接していらっしゃることはなお嬉しいです。(本山:私は今まで誰に対しても市橋君に適正な裁判を受けさせる支援活動をしていることを正々堂々と話をしてきましたが、元学生に対して元教師としてやるべきことをやっていることを尊敬こそされ、非難されたことは一度もありません。私たちは正しいことをしているという信念がぶれることはありません。
私は以前からサスペンス2時間ドラマが好きで、片っ端から観る勢いです。海外ものもアガサクリスティやポアロやコロンボなどをBSで観るので、録画したものを見るのもたまっていきます。市橋君を支援するようになってからは、さらに観方が真剣(?)になりました。
火曜サスペンスや土曜サスペンスは結構筋が凝ってるし、現実に則しよく研究されているんです。
今日(5月12日)見たサスペンスの中で出てきた裁判は、裁判員裁判でしたから、最近の設定だといえます。。石で頭部を殴って殺した犯人に懲役13年が下り、弁護士などが「重すぎる!あまりにも厳しい判決だ。控訴すべきです」という場面が出てきました。色々複雑な内容の脚本で、被告に情状すべき点があるのですが、本人が殺意を認め、一審で偽証したにも関わらず、求刑15年に対し、懲役13年の判決となったのです。私は一人テレビに向かって、ブツブツ言ってしまいました。「15年なんて短いわよ。殺意は無かったと言ってるにも関わらず、無期の人もいるのよね」と。
先日市橋君へのお手紙を小菅に送りましたが、まだ返送されてきていません。「本人に届けられない場合は、これで返送ください」と返信用封筒(切手付き)を同封しました。(本山:大変親切なよいアイデアですね。
天候が不順です。先生、ご自愛ください。

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ストーカー行為で迷惑をこうむっている方々への注意: 私たちの支援活動の趣旨を全く理解せず(勝手に誤解して)、自分の顔を隠して私に嫌がらせ行為をしている人は、ネット中毒で自分に注目してほしい人か、病的な人か、振り込め詐欺の一種ではないかと思いますが、いずれも人に迷惑をかける犯罪行為です。電話もメールもあの手この手の嫌がらせ方法を考え出してやってきますが、この間までは、私の携帯電話番号を女性の名前で出会い系サイトに公表していました。最近は私の名前で意味不明の文書を返信不可能に設定した携帯メールから無関係の人達に送りつけているようです。受け取った人(これもストーカー本人の自作自演かもしれませんが)から私に苦情のメールが送られてきています。

アメリカの空手の弟子・友人のBill 君にFrank 君の様子を訊く留守電を入れておいたら、今朝向こうから電話がありました。やはり軽い心臓発作(心筋梗塞)で、鼠蹊(そけい)部の血管から冠動脈の狭くなって血流が悪くなった部分に細い管(ステント)を入れる手術をしたのだそうです。歩くことはできていたそうですが、血流が制限されたことで心臓がどこまでダメージを受けたか不明なので、しばらくはリハビリテーションをして徐々に体を元に戻していく措置が必要なようです。Frank 君もBill 君も年齢的には私の弟くらいですが、二人とも小さい時から父親なしで育ったので、精神的には空手で厳しい指導をした私を父親のように思ってくれています。

東京農業大学醸造学科の就職活動をしている女子学生(栃木県出身)の履歴書を、昔から知っている千葉大学の卒業生が専務取締役をしている栃木県足利市のある食品会社に送って求人はありますかと打診しておいたら、先ずは一度見学に来て下さいと前向きの返事がきました。弓道二段、少林寺拳法三段の活発明朗な学生で、武道をしているだけに礼儀正しく、履歴書や私への手紙の書き方から判断して人間的にも申し分ないしっかりした学生ですので、私も自信をもって推薦できます。近々日程調整をして、私も一緒に見学に行くことにしました。

五月晴れの清々しい空の下の江戸川堤防・河川敷を8Km 走ってきました。日曜日ということもあって、散歩をしている人や自転車に乗っている人がたくさんいて、河川敷では小学生の野球チームが3組試合をしていました。先日の大雨で河川敷にまで氾濫(はんらん)した水はすっかり引いて、江戸川に沿って流れるふれあい松戸川と命名された人工的な水路も通常の水位に戻っていました。枯れた葦(あし)の間からは新しい葦がどんどん伸びてきていました。
園芸学部構内の百周年記念ホールの前の大木もすっかり緑の葉をつけて、輝いていました。