2012年8月14日火曜日

終戦記念日を明日に控えて、テレビでも戦争に関する映画や番組がいくつかありました。日米の戦争開始になった昭和16年(1941年)12月の真珠湾攻撃を日米両側から描いた「トラ・トラ・トラ」という映画は1970年に上映され長蛇の列ができましたが、私がアメリカの大学院に留学したのは1969年ですから、留学して間もない時期にアメリカ人の友人/空手の弟子たちと見に行ったのを覚えています。私が勉強をしていた農薬毒性学プログラムの教授の一人は、第二次世界大戦中に日米で激戦のあった硫黄島に上陸した元海兵隊員のFrank E. Guthrie 先生でした。Guthrie(グスリー)先生は朝鮮戦争にも従軍したらしく、日本の米軍基地にいた時のオフィスに掲げてあった「グスリー中尉」と日本語で書かれた表札を私に見せてくれました。よく、自分は日本が北朝鮮軍に占領されるのを防いで君の命を守ったのだと冗談を言って、私に目をかけてくれました。その当時は私も27才で若かったので、研究室で夜勉強をしながらよくアメリカ人の友人たちと戦争の話をしました。そのお蔭で、お互いに、国によって自分たちに都合のよい一方的な見方しか教えられていないことを知ることができました。

夜10:00 から のNHKスペシャル「戦場の軍法会議」は見ごたえがありました。東京帝国大学法学部卒の馬塲(ばば)東作中佐がフィリッピンでの軍法会議で法務官として、食料を求めて部隊を離れた兵士を敵前逃亡の罪で死刑にした話を中心に、異常な環境に置かれた日本軍が異常な行動に追いやられた事実を、今は90才を越えた当時を知る関係者や遺族の証言をまじえて紹介していました。日本からの補給を絶たれて、武器弾薬も食料も欠乏した状況で、日本人兵士がフィリッピン人の村に食料強奪に向かったのでしょう。
以前、千葉大学の私の研究室にはフィリッピンから国費留学生が何人か来ていましたが、その中の一人のお母さんがフィリッピンから訪ねて来られた時に私は食事に招待されました。留学生も交えて和やかな雰囲気で食事をしていた時に、お母さんに、「日本人がこんなに親切でいい人だということを始めて知りました」と言われたことを忘れません。多分、戦争中にフィリッピンを占領していた日本軍兵士に村人が酷い目に遭わされて、日本人というのは武力に物を言わせて平気で悪いことをする冷血非道な人間という印象が植えつけられていたのでしょう。

TBSテレビの夜10:54 からのニュース23クロスの中で、日本に帰化した日本文学研究者のドナルド・キーンさん(90才)が、捕虜収容所で日本人捕虜と人間的な交流をし、今は100才になったその時に捕虜の一人だった日本人医師と再会して当時を振り返る映像もよい番組でした。国対国ではなく、個人対個人のレベルでは、どこの国の人とでも、人間どうしお互いに理解し合い、仲良くしていけるのだと思います。

気温が下がってきたのか、このところ何日か続けて走ったせいか、少し体調がよかったので今日は江戸川堤防を8Km 歩いたり走ったりしてきました。