2012年10月11日木曜日

朝4時過ぎに携帯電話が鳴り、私がアメリカに来ていることをご存知なかった菅野弁護士からでした。支援金の残金(約120万円)の使途については、以前3つの案を提案して支援者のご意見を伺ったところ、私自身は千葉県弁護士会に寄付をして市橋君の場合のように弁護人のいない被疑者や被告人の弁護活動に使っていただくのがよいのではと思っていましたが、支援者の多くは、30年後に市橋君が仮釈放の対象になったとしても63才で生活基盤がなく困難に直面する筈だからその時のために保管しておいてほしいというご意見でした。その時点では私は100才ですから多分この世に存在していませんし、ご両親も失礼ながらご存命かどうかわかりませんので、銀行に市橋君名義の口座を作れないかなどいろいろ調べてみましたが、市橋君は受刑中でしかもどこの刑務所で受刑しているかもわからない状況では難しいということがわかりました。そこで、現在の多忙な時期が過ぎたら、一度ご両親に相談してご両親に残金を保管していただいて出所した市橋君の手に渡るように遺言書を残していただけないか伺ってみるつもりでした。

二審での判決が終身刑に決まってから、私は何回も東京拘置所を訪ねて市橋君に面会をし、上告するように勧めました。弁護団は、判決謄本を法律の専門的な立場から詳細に検討した結果上告しても判決が変わる可能性は非常に小さい(=ない)という判断で、これ以上の弁護活動はしないという決定をしました。私は友人の弁護士を通して、非常に実績のある元裁判官の弁護士を紹介してもらって、市橋君が上告するという決心をしてくれれば判決謄本を持参して弁護依頼の相談に行く予定でした。しかし、市橋君は上告をしないという決断をしましたので、それ以上の支援はできなくなりました。

当時、元支援者のK子さんが市橋君に頻繁に面会に行き、高名な法医学者で頚部圧迫が1分以内でも致死があり得るので殺意があった根拠とされた3~5分間圧迫し続けたという検察側の主張を否定できるという方がいると市橋君に入れ知恵をして、弁護団と市橋君との信頼関係に齟齬(そご)を作り出したということは当時のブログに書いた通りです。弁護団は数冊の法医学の教科書を調べて、解剖を担当した千葉大学の法医学の教授も訪ねて、致死に要する時間に関する検察側の主張は覆せないと判断しました。最終的には市橋君はK子さんの方を信頼し(ほんの少しの希望でも、藁にもすがる心境だったのかもしれませんが)、今後のことは弁護団よりもK子さんに相談しますということになったようです。しかし、実際には判決謄本に記載されている厳しい判決理由を見れば、上告して弁護を引き受けてくれる弁護士をK子さんが探すことは困難だったろうと推察されます。その結果、上告を断念し(上告ができなかった?)、終身刑が確定したのかもしれません。

市橋君がどこで服役しているか誰にも知られたくないという本人の希望で私にも弁護団にも知らされませんでしたので、私も彼の気持を尊重して、本人の気持が変わるまではそれ以上の探索をしないことにしたことも当時のブログに書いた通りです。しかし、今日の菅野弁護士のお話では、別の可能性も考えられるようです。K子さんが市橋君と養子縁組を結ぶなり、婚姻の手続きをとれば、市橋君の親族ということになって面会が可能になるということです。実際に市橋君がK子さんにだけは服役している場所を知らせて、面会を受け入れている可能性があるということのようです。年齢的なことを考えれば、ご両親は難しくても、市橋君とそれほど年齢が離れていないと思われるK子さんなら30年後に仮釈放があれば身元引受人になれる可能性も考えられます。
そうだとすると、多くの支援者の方が希望された支援金の残額を仮釈放された時のために保管してほしいというお気持が必ずしも必要ではなくなるかもしれません。

今日の菅野弁護士からのお電話の用件は、その後も千葉刑務所で法的に保障されている筈の弁護人と被告人(あるいは被疑者)との自由な接見や必要な書類の受け渡しの妨害行為があったので、国を相手に訴訟を起こすとのことですが、支援金の残金をその費用に使わせていただけないだろうかというお問い合わせでした。千葉刑務所では、市橋君が収容されていた時も、食事にゴキブリが混入されていたり、手紙や差し入れがストップされて本人に届けられなかったり、いろいろ問題があったことも当時のブログで書いた通りです。どんな犯罪を犯した被告人、被疑者であっても、法治国家の現在の日本ではそんなことが許されていい筈がありません。問題を表に出して改善することは、将来的にも多くの被告人、被疑者のために大きな意義があると思います。
菅野弁護士には、支援金の使途については支援者の皆様のご意見を伺ってから返事をしますとお答えしました。この件(支援金の残金を30年間保管するのではなく、刑務所の弁護活動妨害行為を改善するために訴訟を起こす費用に使うということ)について、皆様のご意見をお寄せいただければ幸いです。

いつもは目覚まし時計を6時に設定していますが、昨夜は寝たのが午前2時過ぎになってしまったので、目覚ましを解除して寝ました。朝4時過ぎの日本からの電話もありましたので、目が覚めたら9時半になっていました。あわててシャワーを浴びてひげを剃って1階に下りたら、朝食が全部片付けられてしまっていました。仕方がないので、部屋のキッチンでコーヒーを沸かし、茶色の食パン(ふすまつきでwhole branといいます)をトーストにし、バターを塗って、チーズを挟んで食べました。
その後は一日中部屋にこもってスリランカでの講演の準備をし、夕方はJohnson 湖に行って1周をちょうど40分でジョギングしてきました。夕陽が湖面に金色に映えている中を野鳥が泳いでいる景色は素敵でした。モーテルに帰ったらまたMargie さんが来ていて(いつでも入れるようにカードキーを渡してある)、ファーマーズマーケット(農産物直売所)で買ってきた材料でアメリカ南部の夕食を準備してくれていました。今日はアイスクリームのデザートも出ました。夕食後、テレビでしばらく副大統領の討論を一緒に見ましたが、途中で眠くなったと言って帰りました。
私は日曜の朝日本に向けて出発ですので、土曜にお別れ会の意味で、この辺りに住んでいる仲間全員と一緒に映画を観て食事をする計画を立てて皆に連絡してくれています。