2012年10月21日日曜日

支援者からお便りが届いています。ありがとうございました。
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本山先生
ご無沙汰しております。(アメリカから)お帰りなさい。
さて支援金の件ですが、昨日先生宛に手紙をだしました。市橋君に渡ってもらいたいと願います。お忙しいとは思いますがスリランカよりお帰りになり、ご都合がおつきでしたら、一度お目にかかりたいと思っております。またご連絡頂けたら有難いです。詳しい事は手紙に書きましたので宜しくお願いします。くれぐれもお身体には気をつけてください。

(以下は郵便で届いた支援者お二人の連名のお便りです)
先生、ご無沙汰いたしております。そしてお帰りなさい。
さて、支援金のことですが、支援者が優しい気持ちで市橋君のために送ったお金です。どんな事があっても市橋君の手に渡ってほしいと願います。13日のブログの三人目の支援者のお気持ちと全く同じでございます。K子さんの事は確認もとらないまま、ただ憶測だけで大切な支援金を使ってほしくありません。無期とはいえ、30年後とは限りません。市橋君は印税と所持金全てを寄付してしまいました。この支援金だけは市橋君のためにどうしても残して下さい。そのためには、先生にはいろいろご苦労をおかけする事と思いますが、どうぞよろしくお願い致します。13日の初めてメールをしたという支援者の文章を読み、同じ気持ちで涙が出てきました。
いつも市橋君の元へお花を届け、熱心に刑務所見学などされ、市橋君と面会をされた方とお会いすることは可能でしょうか?もし可能でしたら、先生とご一緒にお話しできたらと思います。スリランカから戻られ、ご都合がつく日をお知らせいただけたらありがたく思います。忙しさと季節の変わり目、御身大切になさって下さいませ。
本山:日本には22日の午後帰国予定です。帰国後しばらくはいろいろな予定に追われる筈ですが、少し落ち着いて時間のゆとりができたらお会いできる日時についてご相談致します。市橋君と面会したことのある支援者もこのブログを見ておられる筈ですが、他の支援者とお会いするかどうか今度伺ってみます。
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今晩は。アメリカでの生活、ブログで楽しみに拝見していました。自然に囲まれた景色の写真も良かったです。
支援金の残金ですが、市橋達也さんの仮釈放後の為に残して頂くことを希望致します。
K子さんの養子縁組・婚姻や身元保証人のお話は可能性であり、事実を確認することも出来ませんし、この先のことも分かりませんので、K子さんの状況とは関わらず、決められた方がよろしいかと思います。私も多数の支援者の方が望まれた彼の仮釈放後の為に保管出来るように検討して頂きたいです。本山先生にご負担をお掛けすることになり、申し訳ございませんが、よろしくお願い致します。

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お疲れ様です。〇〇県の〇〇〇〇です。アメリカ、スリランカとご多忙なので帰国されてからお便り差し上げようか迷いましたが、他の支援者の方からたくさんのお便りを頂いているそうなので、私もこのタイミングにすることにしました。大変お忙しければ、大変申し訳ないです。
k子さんの件につきましては大変驚きましたが、先生が以前おっしゃったように、今回の裁判に対していい影響を与えたとは決して思えません。先生のおっしゃったように、市橋さんを振り回したという印象が大変強いです。k子さんが弁護士や法医学者を知っていると言っても、結局市橋さんに紹介できなかったからです。k子さんとは一体何者なのでしょうか?どういう方なのか良くわかりませんし、信用できません。k子さんの年齢、k子さんと市橋さんが連絡を取られているかどうか、K子さんの養子縁組・婚姻や身元保証人の話はあくまでも可能性であり、事実を確認することも出来ませんし、この先のことも、他の支援者の方々のおっしゃるとおり、分かりませんので、K子さんの状況とは関わらず、決められた方が良いと思います。永山死刑囚の場合は獄中結婚が数年で離婚したと聞いていますし。私も他の支援者の方々と考えは同じです。支援金は市橋さんに無事届いて欲しいと思っております。
お忙しいところですが、くれぐれも体調にはお気をつけください。それでは。
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今日はやっと少し時間のゆとりができたので、午前中ホテルの部屋でメモに基づいてブログの記事の更新をしました。帰国の飛行機はコロンボ空港から夜中の11時半に出発の予定ですが、午後にはCropLife Sri Lanka の会員会社のどなたかから電話があることになっていて、午後からのコロンボ市内の見学や夜の空港まで(車で約1時間)のトランスポーテイションの指示がある筈でした。
なかなか電話がこないので不安になってこちらから電話をしてみたら、夜遅い便なので夕方8時頃ホテルを出発すればよいと考えていたようでした。ホテルのチェックアウト時間を特別夕方5時まで延長してもらっていることを話したら、打ち合わせをしたらしくMonsanto India Limited という会社のBusiness Manager のSaman Premalal氏 が来てくれました。空港に行っても待ち時間があり過ぎるので、市内のレストランで一緒に早目の夕食をしながら時間をつぶしました。8時頃になって、Premalal氏が手配してくれたタクシーで空港に向かいました。

中国、アメリカ、スリランカと連続してしまったので厳しい日程でしたが、無理を押してこちらに来て良かったと思います。シンポジウムでの講演を、半分お世辞かもしれませんが、スリランカに大変役に立つ講演をありがとうございましたと言われたのも嬉しい気がしましたが、私的な面でこの国の景色や人々の姿を直接見ることができたことはもっと良かったと思います。
コロンボのように30階建ての高層ビルが並んで活気に溢れている都会と、シンポジウムが行われたPeradeniya の周辺の田舎町や農村と、まるで現代と古代が混在している印象でした。日本の昔の屋台のような小さな小屋で果物や野菜や雑貨を売っている店が道路にたくさん並んでいましたが、電気がないので暗くなるとローソクを灯していました。村人にはこれしか生計を立てる方法がないのでしょうが、一日でいくらの稼ぎになるのだろうと思ってしまいました。縄文時代の竪穴式住居と比べるのは大げさ過ぎますが、それとあまり変わらないようなただ壁を立てて屋根をのせただけの掘っ立て小屋のような小さな家に住んでいる人たちもたくさんいました。本当は、日本の若者たちに世界のこういう状況を見せたい気がしました。何のために勉強するのか、どういう生き方をしたいのか、おのずから見えてくると思うのですが・・。シナモンホテルにあったりっぱな石の仏像と、シギリヤ村で散歩した時に見つけた巨木に掲げた木製の手作りの仏像と、仏様への信仰心には変わりはないと思うのですが・・。
一番良かったのは、子供たちの純真で明るい表情でした。16才未満は労働禁止で、公立学校と医療費は無料で、子供の人権が守られているそうですが、クリケットに興じて走り回っていたり、公立学校の子供たちが国から支給される真っ白の制服を着て通学している姿が爽やかで何とも言えません。この子供たちが学校を卒業して大人になる時に、それぞれの夢を実現できる社会が待っていてくれたらいいなあと願ってしまします。

コロンボの高級ホテルに泊まって、バッフェースタイルのレストランでは美味しいご馳走も果物もデザートのケーキも食べ放題で、私は少し罪悪感がしました。でも、私がここに泊まって美味しいご馳走を食べることで、人々の仕事が生まれ、経済が活性化する一助になるのだという言い訳を考えて自分を納得させました。