2012年12月12日水曜日

リハビリセンターに長期入院している元同僚教授のN君をお見舞いに行ってきました。前回と同じ4人部屋ですが、ベッドの位置が窓際に移動してあり、隣には80才代の男性の新しい患者のベッドがありました。付き添っておられた奥様とお話したら、何とかいう難病でだんだん体の自由が失われて、今では言葉も失われたとのこと。それでも甲斐甲斐しくお世話をしておられました。つい1年半くらい前には元気で一緒に旅行もしたのに、今はご主人の病気をどうすることもできなくて残念だとのことでした。ノーベル賞を受賞した山中伸弥教授の発見(iPS細胞=人工多能性幹細胞)が実用化されるしか治療方法はない病気だけど、自分の主人には年齢的に間に合わないとのことでした。いくら話しかけても、返事をしてくれないのはN君も同じです。

私が月刊誌「文藝春秋」12月号に載った同級生交歓の写真のページのコピーを見せながら、高校時代の仲間だぞと言って一人一人の説明をしたり、今年の6月に新潟県胎内市でヘリコプターで松林に薬剤が散布された時に飛散調査をして、今その結果を論文にする仕事をしていることなどを話しました。彼は私が目の前に差し出した写真を目で追いながら、言葉は何も言ってくれませんでした。君は現役教授の時は、ほうれん草の硝酸還元酵素の研究をしていて、実験でよい結果が得られた時は、「よし、これは世界で初めてだ!」と言って私にどうだと自慢していたけど、ヘリコプターで散布された薬剤の飛散問題については今では私が一番データを持っていて日本で一番の専門家だぞと言って自慢したら、急に笑顔になってニコニコ笑い出しました。やっぱり、私の言うことは聞こえていたのです。昔から親友であると同時に研究者としてよきライバルだったので、少し刺激したらやはり反応をしてくれました。

それを見ていた隣の患者の奥様は、いつも無表情のN君しか見たことがなかったのに、初めて笑顔を見たと言って驚いていました。N君は言葉で自分の気持ちを表すことはできなくなっているけど、こちらの言うことはちゃんと聞こえているのだと思いますと言ったら、自分の主人も同じだと思いますとおっしゃいました。ご主人も誤嚥(ごえん)で肺炎になるのを避けるために流動食をストローで吸って飲み込んでいるそうですが、時々お茶碗をかかえてお箸で食べる格好をしてご飯を食べたいという表情をされるのだそうです。
私がN君の昔の研究自慢の話をしたらニコニコ笑い出したことは、後でN君の奥様に電話でお伝えしようと思います。

夜、週刊誌「週刊文春」のI記者から電話があり、年末にいろいろな事件を振り返って総括する記事を企画していて、市橋君のことについても取り上げたいとのことで、来週火曜に取材に来られることになりました。私は市橋君がどこで服役しているかも知らないし、何も新しい情報はないことは伝えたのですが、書いていいことと書いてはいけないことがあるだろうから、相談に来たいとのことでした。I氏とは月刊誌「文藝春秋」の担当だった時からのお付き合いですが、良心的な記者という印象を持っています。