2012年12月18日火曜日

「週刊文春」のI記者が訪ねてこられる前に、菅野弁護士に電話をして、支援金の残金約120万円の処理方法について支援者の希望をお伝えしました。少数の方は私の考えるように(千葉県弁護士会に寄付をして弁護人のいない被疑者や被告人の弁護に使っていただくか、菅野弁護士から打診のあった千葉刑務所の弁護活動妨害行為を告訴する費用に使っていただくか)処理してよいとのご意見でしたが、多数の方は市橋君のために振り込んだお金なのであくまで市橋君のために使ってほしい(約30年後に仮出所する機会が与えられるまで保管してほしい)というのが希望でしたとお伝えしました。
問題は、現在70才の私はそれまで生きていられるかどうかわからないし、もっと年齢の若い支援者に管理をお願いして皆様にその方のお名前を公表するとその方が嫌がらせ行為の目標にされる危険性があるということです。そこで、市橋君のご両親に管理していただいて、30年後に市橋君が出所した時に必ず市橋君の手に渡るように遺言して残していただけないかお願いすることも考えていることをお伝えしました。

今日菅野弁護士を通してわかった状況は、市橋君は山本弁護士とは連絡をとったらしく、弁護団の中で山本弁護士だけは市橋君がどこで服役しているかご存知だということ、以前ブログで言及した元支援者でその後は支援する会からは離れて独自に熱心に支援活動をしてこられたK子さんが現在も熱心に支援活動をしておられて(刑が確定後は、市橋君と養子縁組をするか婚姻届を出すかして親族という立場になられた可能性があるようです)面会にも行っておられること、また市橋君の方も彼女の(彼女だけの)支援に依存しているということのようです。マインドコントロールという言葉が適切かどうかはわかりませんが、東京高裁に上告してから、そういう状態になって市橋君と弁護団との信頼関係には齟齬(そご)が生じてしまったようです。市橋君自身が、弁護団よりも、ご両親よりも、私を含めた支援する会の支援者よりも、K子さんを信頼し、これからはK子さんに依存するという選択をしたのでしょう。個人情報ですから、K子さんについてこれ以上のことはここでは申し上げられません。

手記の出版から得た印税の約900万円は、当初リンゼイさんのご遺族に被害者弁償金として提供する申し入れをしたけれど受け取りを拒否され、すでに寄付をして残ってはいませんが、その後手記が増刷された分の印税として出版社からさらに約200万円が支払われたとのことです。このお金は山本弁護士が開設した口座に移され、K子さんが管理をしておられるようです。以前、市橋君の事件を主題にした映画を製作する計画がありましたが、すでに映画は完成して試写会も行われたとのことですので、その中にどこかの映画館で上映されるようになるかもしれません。そうすると市橋君にも何らかのお金(一定金額)が支払われることになったり、それがきっかけで社会の関心が高まればまた手記が増刷され印税が支払われるということもあり得るようです。そういう将来の収入についても、山本弁護士が開設した口座に移され、K子さんが管理をするということになっているようです。
そこで、支援する会の支援金の残金約120万円についても(現在は菅野弁護士の口座に保管されたままです)、山本弁護士が開設したその口座に振り込んでK子さんに管理して頂くというのも一案ということです。K子さんは以前被害者弁償金が必要なら1億円用意できると弁護団におっしゃった方です。K子さんは2010年3月から何回か支援する会に支援金を振り込んで下さり、私とはメールのやりとりもされた方ですが、途中から考え方(目的)が異なるとおっしゃって支援する会から離脱されました。当時、何故そんなに熱心に支援されるのですかとお訊きした時は、そのことについてはお構いなくとおっしゃって答えてくれませんでした。ですから、私には今でも何故K子さんが市橋君の支援にそんなに熱心なのかはわかりません。

こういう状況ですので、支援金を振り込んで下さった支援者の皆様のご意見(支援金の残金約120万円を、①山本弁護士の開設した口座に移してK子さんに管理していただくか、②市橋君のご両親に管理していただいて約30年後に仮出所した時に彼の手に渡るようにお願いしてみるか-断られる場合もあり得ますが、③その他何かよい方法があればご提案下さい)をお寄せ下さい。

なお、「週刊文春」は今年起こった大きな事件(市橋君の裁判が結審したこともその中に入るそうです)について振り返る記事を特集する企画があるらしく、多分来週号あたりに掲載するのかもしれません。弁護団とK子さん以外では、私が最も頻繁に(2011年7月から2012年4月まで約10ケ月)面会に行って市橋君に接してきたということで、何故市橋君があのような事件を起こしたと思うかと質問されましたが、事件そのものについては彼がまだ語れる心境になっていなかったので(その話題に近づくと下を向いて涙をポロポロこぼして沈黙しました)、もっと時間が経ってから彼自身が語るしかないのではと答えておきました。