2013年1月5日土曜日

突然、オランダ在住約37年という人からメールが届きました。埼玉大学空手部の出身で、KLMオランダ航空に勤務しながらKLM空手部で空手も続けておられるとのこと。私が数年前に千葉大学空手部の部誌に寄稿したいくつかの文をどういう経由かはわかりませんが、埼玉大学空手部のOBを通して入手し、共感されたご様子。私自身すっかり忘れていましたが、予想もしなかったところで、予想もしなかった人の目に留まったことに驚くと同時に嬉しくなりました。パソコンに保存されている古いドキュメントを探して、該当する原稿を3点見つけました。同じ頃に千葉大学園芸学部の同窓会報に依頼されて書いた、定年退職するにあたっての挨拶文も見つかりました。なつかしいので、その中の一文をコピーします。
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千葉大学空手部部誌(昇龍)15/五十周年記念号平成19930日発行 掲載挨拶文

創部50周年に際して-千葉大学空手部のあるべき姿とは?

千葉大学空手部部長 本山直樹(第10代主将)

 千葉大学空手部の歩みを見ると、昭和32年(1955年)1月に福士和夫先輩が同好会を結成し、同年4月に正式の空手部が創設されて高橋洋一先輩が初代の主将に就任している。高橋先輩は、元々松涛館流空手の有段者だったのに玄制流創始者の祝嶺制献先生の門下生になり、埼玉大学に空手部を創設後千葉大学に空手部を創設するために転学してきたと聞いた。空手の歴史をたどれば遠くインドに源流があるとされ、仏教とともに中国に伝えられ、それが当時独立国であった沖縄に伝えられ独自の発達を遂げたとされている。沖縄から日本に伝えられたのは1900年代初期とされているので、たかだか100年くらい前のことである。関東を中心に松涛館流を広めた富名腰(船越)義珍、関西を中心に剛柔流を広めた宮城長順、・・・祝嶺先生はもっと最近になってからであるが、やはり沖縄から日本に来て空手を広めた一人である。従って、長い歴史のある柔道や剣道と異なり、日本での空手の歴史は浅く、未だに流派ごとに型も練習方法も異なり、試合のルールさえ統一されていない。そういう状態の武道は、いきおい各流派が「俺が」「俺が」と自己優越性を主張し、勢力を拡大しようとする。大学空手部はいったん流派が入り込めば、毎年新しい部員が入ってきて毎年経験を積んだ部員が卒業していくので、その流派にとっては勢力拡大の絶好の場所になる。当初、高橋先輩が千葉大学に転学してきたのも、祝嶺先生の使徒として玄制流を広めようという使命を帯びていたのかもしれない。

 一方、大学・学生の立場からすれば、空手部に入るということは教育の一環としての課外活動に参加することに過ぎない。一般に日本では私立大学の運動部は、箱根駅伝で見られるように、大学の宣伝も兼ねて優勝するような強いチームであることが求められている。国立大学でも、体育学部のある筑波大学のようなところは別としても、ある時期の京都大学のアメフト部がそうであったように、指導者と部員に恵まれれば目覚しい活躍をする場合もある。どの運動部も優勝を目指して練習に励み、それが実現した時には達成感に酔い、大学や社会やOB会からはよくやったと褒められる。しかし勘違いしてはいけない。基本的には、私立・国立を問わず大学の学生にとっては各専門分野の勉強をすることが主であり、それが大学に入学してきた目的であり、空手の練習をすることは従である。選手になって必死に練習して大会で優勝しようと思う学生もいれば、許される(勉強の障害にならない程度の)時間内でほどほどに練習してほどほどに強くなればよいという学生もいる。運動神経は普通以下でも、仲間の部員と一緒に汗を流したり、練習後の時間を一緒に過ごすことによって、得られる友情を大切と思う学生もいる。千葉大学空手部は、それら全ての学生を受け入れられる空手部であってほしいし、今まで50年間実際にそうであったと思う。選手になって大会で華々しい活躍をした部員もいれば、違う場面で著しい貢献をした部員もいる。それでいいのだ。空手のように大学に入って初めて習い始める学生がほとんどのスポーツでは、上級生やOB会や流派の師範の指導なしにはまともな練習も上達もおぼつかないが、全員で空手の技の習得と大会での優勝を目指して練習を重ね、また自分達で部を運営することを通して、専門分野の勉強とは別の、課外活動の本当の目的-人間としての成長-を達成できるのだ。大会の成績だけで部を評価してはいけない。日本の空手界がいまだに流派単位で動いている現状は残念だ。その分だけ、OB会が団結して後輩に技術的、精神的、経済的な支援をしてほしい。福士先輩と高橋先輩が50年前に蒔いた種をしっかり育て、次の50年の世代に引き継ぎたいものである。
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