2013年2月16日土曜日

江戸川堤防に走りに行きましたが、北西の冷たい強風が斜め前から吹き付けて、体が吹き飛ばされそうなくらいでした。それでも、風に負けないように前傾姿勢で8Km 走ったり歩いたりしてきました。

一昨日埼玉県の名門ゴルフ場に同行してくれたO氏は、昭和21年生まれだそうですから現在66才で、日大法学部を卒業してから東京農業大学に学士入学して林学を専攻したのだそうです。その当時、林野庁の林業試験場(今の森林総合研究所)を定年退職して農大教授になっておられた倉田益二郎氏から、林業技術という雑誌の1983年12月号に掲載された「マツの木保存論とマツ林亡国論」という記事の別刷りを手渡されたそうです。そのコピーをいただいたので読んでみましたら、マツ林を守る必要はないという大変興味深い主張が述べられていました。昭和19~25年(1944~1950年)に松くい虫大発生地帯である兵庫、岡山、広島地方でマツ林に関する調査、実験をしてこられたとのこと。マツは土地の痩せた所に生える樹種ということから、植物相の遷移(せんい)から見れば土地が肥沃になるに従って消滅するのだから守る必要はないという主張になるようです。昭和25年にアメリカ進駐軍(戦後日本を占領支配していた米軍をこう呼んでいた)のドナルドソン中佐と会った時の会話も紹介しておられるので、今から30年前にこの記事を書かれた時はすでに相当な高齢だったのではないかと想像されます。
しかしよく考えてみれば、昭和25年というのは千葉県の平砂浦にしても、新潟県の庄内砂丘にしても、人々の生活環境を飛砂や潮風害から守るためにマツの植林事業が始まった時代ですから、まだ現在のような海岸の保安林は存在しなかった時代です。従って、倉田氏は山や平地のマツ林を想定していて、その後造成された海岸保安林としてのマツ林はあまり念頭になかったのではと推察されます。
この記事が書かれた1983年というのは、1950年に日本のあちこちで植林が始まって33年後ですから、もし倉田氏が海岸保安林としてのマツ林を守らなくてもいいと本当に考えたのだとしたら、そこに住んでいる人々の飛砂被害による大変な苦労に対する配慮が欠けているような気がします。