2013年3月23日土曜日

妻と千葉大学園芸学部のある戸定ケ丘(とじょうがおか)に行って、満開の桜を眺めながら散歩をし、その後妻は買い物に、私は江戸川堤防に行って8Km 走ったり歩いたりしてきました。テレビのニュースでは上野公園や千鳥ヶ淵の桜の花見の様子を伝えていますが、大変な人出のようで、私たちは近所の人達が2~3組花の下で弁当を広げている程度の戸定ケ丘の方が、静かに花を楽しむことができるのでいいねと話し合いました。

昨日の卒業生・修了性を送る会の後、名誉教授と後援会長(卒業する学生の父兄の代表)は学部長室に招かれて、用意されたビールと食べ物をいただきながらさらに交流を続けました。飯田 格(わたる)先生は戦争中に学徒動員で飛行機や飛行場の整備をやらされたけど、飛べる飛行機は日本にはもう残っていなかったのでただ地面を平らにするような土木作業をさせられていたそうです。徴兵されて戦地に送られて死んでいった若者も惨めだったけど、国内でもたくさんの若者が死んでいったとのこと。長野県の旅館の後継ぎ息子は、地面を平らにする滑走路作りをさせられて、肺炎で亡くなってしまったとのこと。当時は抗生物質のような医薬品もなかったので、ただジキタリスという強心剤(?)を与えられるしか治療方法もなかったのだそうです。長野県から出てきた奥さんが、亡くなったご主人を見てワーンワーン泣いて泣きやまなかった姿が今でも瞼に焼き付いているとのことでした。飛行機もないのに無駄な作業をさせられて、虚しく死んでいった人たちが可哀想だとおっしゃっていました。戦争が終わったのは1945年ですから、ほんのちょっと前にどれだけ多くの若者が自分の意思とは無関係に戦争に駆り立てられて惨めに死んでいったか。私たちは一見もっともらしい勇ましい掛け声に踊らされて、社会がいつの間にか元来た道に戻るようなことを許してはいけないのだと思います。