2013年4月29日月曜日

支援金の残金の処理方法について、以下のご意見が寄せられました。
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お元気そうなご様子なによりです。ブログを拝見し、ずっと考えておりました。支援者の方々のご意見もじっくり読ませて頂きました。
私も子供をもつ一人の親として市橋さんのご両親様のお気持ちも理解出来ます。ただ支援者としては残念でなりません。市橋さんの為に支援者の方々が少しずつ送られた温かい気持ちがいっぱいつまったお金を市橋さんのお手元に届ける術の難しさ・・・何と市橋さん迄の距離が遠いことか・・・。
支援金は振り出し状態で本山先生にはご苦労をおかけし大変申し訳ないのですが、私自身も市橋さんの為に残したい気持ちに変わりありません。
保管方法は難しいと思いますので、先生 お忙しい事とは存じますが、一度山本弁護士さまにご相談いただけないでしょうか。
お名前を公表しても構わない複数の若い支援者の方々がおられましたら、もう1つ山本弁護士さまに口座開設して頂き、市橋さんの為の口座を山本弁護士さんに入って頂き管理していくというのが一番有難い形です。
それがダメな場合は市橋さんの為にK子さんが管理している口座に振り込んで30年後に仮出所の時がきたら渡していただく形か、この場合も山本弁護士さまが間に入っておられるので無茶な事はK子さんも出来ないと思いますがいかがでしょうか。
私もそう若くなく市橋さんが刑期を終えられる頃は高齢で自分がどのようになっているか判断もつきません。情けない事です。しかしながら一生懸命 服役されて出所された晩年の市橋さんを思うと、少しでも生き直せる機会と暖かく過ごしていける生活を残したいのです。
本山先生には本当に本当にお手数とご苦労をおかけして申し訳ない気持ちでいっぱいですが何卒宜しくお願いいたします。

本山:ご意見をありがとうございました。刑が確定するまでは、書籍でも、食べ物でも、お花でも、衣類でも、現金でも差し入れできましたが、確定後は、差し入れについても 面会についても厳しい制限があるようで、それが刑に服するということなのかもしれません。仮出所の審査の対象になる27年~30年後といえば市橋君も60才~63才くらいになっている筈ですから、例え仮出所できたとしても前科がついて就職するのも難しいのではと想像します。できることなら、その時に支援金の残金が市橋君が生きていく上で少しでも役に立てればいいなと思います。多分支援者の多くもそれを望んでいらっしゃるのではと思います。
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ご退職後も、いろいろお骨折りいただき、ありがとうございます。ブログ拝読致しました。
予想通りと申しますか、やはりご両親は受け取りを拒否されたのですね。おそらくそうなるだろうとは思っておりました。とはいえ、ご両親に一言の相談もなしに事を運ぶことはよろしくない、と思っておりましたので、これで「前進できる」という部分もあろうかと思われます。

従来、支援者の大方の意見は、「支援金は、市橋さんへ!」というものでした。ただ、暗にその決定には、『信頼できる保管先があれば』という条件も含まれていたかと思われます。ではその「信頼できる保管先」として、
�本山先生
�市橋さんのご親族
�支援者の「誰か」
�K子さん
が考えられるということでしょうか。��が望めないのであれば、��になりますが・・・

まず、K子さんに対し、私は不適と思っております。本当の支援を思うのであれば、市橋さんとご親族(できれば友人・支援者等々も)との仲介的役割も視野に入れるべきではないかと思うのです。支援というのは、個人で全うできるものではありません。それでは単なる自己満足・慢心です。加えて、本会の方針と合わないという方に託すのは、極めて不自然と思われます。もし支援者で「我こそは」という方がおられるなら、個人情報を支援者全員に明らかにすることも含め立候補していただき、採否を決めても良いかと思います。
それが上手くいかないようであれば、支援金の使途を再度決定しなおす、というのではいかがでしょうか。(私の意見としては、この状況では、使途を再度検討し直す−弁護士会を通じ寄付する−のが一番役立つのではないかと考えております。)

いつまでもお手数をおかけして申し訳ございません。何卒よろしくお願い申し上げます。
本山:明快なご意見をありがとうございました。私自身の考えを整理するのにも参考になりました。
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朝7時半に自宅を出て、東急東横線の綱島(つなしま)駅に行き、横浜駅伝大会が行われた鶴見川沿いの河川敷には9時半頃着きました。すでに多くの参加者がブルーシートを敷いて自分たちの場所を確保していました。1チーム7人構成で42.195Km を走りますが、661チームが参加したようです。千葉大学走友会は3チーム出場し、私はBチームの6走で5Km 区間を走りました。今の体重と体調では35分~40分で帰ってくる筈ですからと7走のランナーに予告して走り出しましたが、少し無理して走ったので32分ちょっとでタスキを渡すことができました。参加者名簿を見ると、70才以上はほんの僅かで、私にタスキを渡してくれた5走の千葉大学名誉教授のY先生は77才で、全参加者中で最高齢でした。若い時のように早くは走れなくても、こうして70才代になっても駅伝大会を皆で楽しく走れるというのは幸せなことだと思います。