2013年8月18日日曜日

千葉大学園芸学部時代の同級生で、農業高校教師を定年退職後ある有機農業の認証機関の理事長をしているT君から、特定農薬(特定防除資材)と松くい虫防除でヘリコプターで薬剤散布が行われている地域に関する質問が届きました。以下は、私が彼に送った返信です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
メールをありがとうございました。有機認証を申請した圃場にはFAMICの農薬検査部や肥料検査部の人が実地検査に来るのですか。私は、有機認証については、農水省の表示企画課が所管していて、民間の認証団体を認証して、農水省が直接実際の圃場や農業生産者の検査はしないと思っていました。
ご存知のように2002年12月に当時の武部農水大臣の政治的公約を受けて農薬取締法の一部改正が行われ、2003年3月10日から施行されました。当時私は農水省の農業資材審議会の農薬部会長でしたが、ある時の審議会で改正の内容について審議会で審議しなくていいのかという問題提起を役所にぶつけましたが、法律の改正は国会の審議事項で審議会の審議事項ではないので、その必要はないという答弁で逃げられてしまいました。その結果、現場では多くの混乱が生じて、審議会は尻拭いの役をさせられ、いまだに問題は解決していないという状況です。特定農薬(特定防除資材)問題はその一つです。
当時は、いわゆる無登録農薬が法の裏をかいて日本全国で横行しているという実態が次々と明るみに出て国民の食の安全に関する不信感が極度に高まり、それを受けて武部大臣が開催中の国会で短期間に農薬取締法の改正をやると啖呵を切ったことに役所が引きずられた結果、農業現場や国民目線での十分な見当がされないまま、役所の視点だけで法律改正が拙速に行われてしまいました。無登録農薬には2つの意味が含まれていました。1つは、当時の食品残留農薬基準のネガティブリスト制の下で、日本で農薬登録のない農薬は法律に縛られないので個人輸入をして勝手に使っても違反にならないということから、輸入業者・団体や一部の農業協同組合が中国その他から無登録農薬を個人輸入して販売や使用をしていたために、当該作物に適用がない農薬の残留が農作物や食品から検出されても規制できないという問題がありました。もう1つは、有機農業で農薬代替資材として病害虫・雑草防除に使われていた資材(多くは天然・植物抽出液と称していた)には実際には農薬が混入されていたために(この分野では私たちの研究が大きな貢献をした)、登録農薬のように安全使用基準なしに使われると散布作業者、環境、消費者を危険に曝すという問題がありました。これらの問題を解決するために、改正農薬取締法では(1)無登録農薬の輸入・製造・販売・使用の禁止、(2)使用基準の遵守を義務化、(3)罰則規定の強化、(4)特定農薬という新しいカテゴリーの創設をし、その後さらに(5)食品残留農薬基準のポジティブリスト制の採用、をしました。(4)は環境保全型農業、減農薬・減化学肥料農業、有機農業を推進するために、無登録でも使える防除資材が必要との配慮から創設されました。当時私は農業資材審議会農薬部会の中に設置された特定農薬検討委員会(委員6名から構成)の委員長に任命されていましたが、確か、2002年12月20日の委員会で約750の候補資材のリストを渡され、この中から特定農薬に指定できるものを選んで2003年1月10日までに提出するようにと依頼されました。役所の責任を放棄した丸投げです。年末年始の20日間、散布作業者への安全性、環境(非標的生物や生態系や周辺住民)への安全性、消費者への安全性、ならびに防除効果という4つの観点からメール会議で評価作業をしました。6名の中、2名以上の委員が一致してこれなら特定農薬に指定してもいいという資材があれば、全員でさらに詳しく情報収集をして検討するという方法を採用しました。その結果、上記4つの観点をクリアできるとして2名以上の委員の意見が一致した資材は1つもありませんでした。1月10日に私が特定農薬検討委員会の正式回答として農水省に提出した答申は、「特定農薬に指定できる資材は1つもありません」でした。驚いた農水省は、1月25日くらいだったでしょうか農薬対策室長と課長補佐の2人を私の研究室に派遣し、3月10日の改正農薬取締法施行に向けて、特定農薬として指定した資材を書く筈の別表の中身が空っぽでは困ると、次官も局長も心配しているので、何とか再考して特定農薬を指定してほしいと懇願に来ました。そこで、年末の研究室で私の独断で選んだのが重曹と食酢と地元で採れた天敵の3つです。重曹と食酢は過去に農薬登録があったので、安全性とある程度の防除効果は確認済みだということと、地元で採れた天敵というのは自分の畑で採集したテントウムシをハウス栽培のキューリに放してアブラムシを食べさせても生態系への悪影響はないということが根拠です。残りの委員は私が責任をもって説得するからと伝えた時の室長と課長補佐の嬉しそうな顔が今でも浮かびます。すぐ携帯電話で、「本山先生が妥協してくれました」と安堵の表情で役所に報告していました。
特定農薬の問題点は、原材料に照らして安全なものを指定するのだから、使用基準を設定できないし、ラベル標示も義務化できないという、内閣法制局の解釈があるということです。つまり、科学的には絶対的に安全というものは存在せず、毒になるか薬になるかは暴露(摂取)量で決まるにもかかわらず、使用基準の設定もラベル標示も義務化できないという矛盾です。
法律は5年経過すれば改正が可能になるとのことでしたので、私は農水省には特定農薬制度は廃止して、新たにアメリカのように登録農薬の中にミニマムリスクペスティサイド(リスクが著しく小さい農薬)というカテゴリーを創設し、通常の使用で安全性に問題がないような資材は比較的簡単な審査で認可してこの中に入れて、使用基準とラベル標示だけはきちんと義務化するという改善策を提案してきましたが、問題は先送りされているようです。
現在の農薬取締法での無登録農薬の取り締まり基準は、登録のない資材を(1)防除効果を謳って、(2)販売する、のは禁止ということになっています。従って、「殺草」「除草」「抑草」は全て効能を謳うことになるので違反と見なされます。
マツクイムシ防除で有人ヘリコプター、無人ヘリコプターで農薬を散布している場所を示したような資料はないと思います。林野庁の森林保護対策室と一般社団法人の農林水産航空協会というところが一番情報を把握している筈ですが、散布するかどうかは毎年決まるのが遅いので、今年はどことどこでどの農薬が散布されますか、有人ですか無人ですかと訊いても直前にならないとなかなかわかりません。私たちが松くい虫防除の農薬の飛散問題に取り組み始めたのは2004年からですが、今までに群馬県、静岡県、新潟県、千葉県、秋田県、島根県で調査を実施しました。山の松林と海岸の松林の両方が調査対象でした。ちょうど先月報道関係者との情報交換会で私が講演した時のスライドがありますので、さっき宅ファイル便で送っておきました。ついでに、ミツバチとネオニコチノイド問題についても講演した時のスライドと講演テキストを送っておきました。現在松くい虫防除で散布される農薬は、有機リン剤のフェニトロチオン(スミパインMC、スミパイン乳剤)かネオニコチノイド剤のアセタミプリド(マツグリーン液剤2)、チアクロプリド(エコワン3フロアブル)、クロチアニジン(モリエートSC)だけだと思います。私たちは飛散量として、周辺地域での気中濃度と落下量を測定していますが、飛散量は極々微量で人間の健康にも生態系にも全く影響を及ぼさない程度です。従って、有機農業用の苗生産に使う土壌を松くい虫防除で薬剤散布された松林の周辺で採取したとしても、全く影響はないし、分析しても検出限界以下で検出もされないと思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

日本経済新聞の「ミツバチとネオニコチノイド」に関する記事が掲載される予定の日でしたので、近くのコンビニに行って1部購入してきました。「ミツバチ どこへ消えた」「農薬を群れ全体で食べることに・・・」「農薬が原因か EUで規制もという大きな見出しが示すように、科学欄でありながら科学的な検証が不十分なままで、まるでネオニコチノイド系殺虫剤が原因である可能性が高いという印象を与える論調の記事になっていました。私のところに取材に来た記者が当初送ってくれた私のコメントの引用文を、途中で変更したいと言ってきて、それに対して私が誤解のないように訂正文案を送り、それを正しいと認め、「整理部」(記事を統括する編集局デスクのことか?)に訂正をリクエストしたと言いながらも、字数オーバーなのでどうなるかわからない、という趣旨のやりとりがあった時点で、私はこういう結果になることを半分は予想していました。今までも何回も経験してきたことですが、日本経済新聞が「ミツバチとネオニコチノイド」問題を取り上げて記事にすることを決めた時点で、全体としてのストーリーはできあがっていて、それを裏付けするために取材をし、それに都合のいいコメントだけを引用するというやり方はテレビでも新聞でも雑誌でもよくやることです。”千葉大学の本山直樹名誉教授は「どんな農薬でもリスクを考慮しながら適正に使う必要がある」と指摘する”という引用も、ネオニコチノイド剤が原因である可能性が高いという主張の裏付けとして、私が言ったこととは全く違う(むしろ反対の)意図に使われていました。記者の問題なのか「整理部」(デスク?)の問題なのかはわかりませんが、日経お前もか、という印象です。

今日は午後少し遅い時間に江戸川に出かけ、約3時間歩いてきました。海に向かって左岸の堤防を下って市川市まで行き、里見公園に寄って見物してきました。昔8千人の兵を率いた里見軍が2万人の兵を率いた北条軍に滅ぼされたという国府台城址やバラ園もあり、もう一度ゆっくり来たいなと思いました。高台の木立の間からは東京スカイツリーが見えました。堤防の草むらの上をたくさんの赤トンボが群れ飛んでいたのでカメラのシャッターを押しましたが、写真には少ししか写っていませんでした。暑い暑いと言っているうちに、秋が近づいてきているのでしょう。