2013年10月3日木曜日

「市橋達也君の更生を支援する会」の役員の○○○○さんからメールが届きましたので、以下の返事を差し上げました。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
こんばんは。(日本時間19:30頃)お久しぶりです。お元気そうなご様子を、いつもブログで拝見しています。今年も、又アメリカに滞在される時期が来ましたね。本山先生のアメリカでの生活や写真を、毎年ブログで拝見し、行ったような気分になっています。写真が見れないのが残念です。写真が載せられることを期待しつつ、ブログ楽しみにしています。 10月に入りましたが、本日は暑いくらいでした。市橋達也さんも、今の季節は、過ごしやすいと思いますので、この気候が長く続いて欲しいです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2013.10.3 ○○○○様 お便りありがとうございました。8月1日に静岡県の三保松原の松枯れ状況の視察に行った時に、静岡県在住の「市橋達也君の更生を支援する会」のお二人の役員が訪ねてきて下さり、一緒に食事をしました。その時に、いつか○○様も含めて東京でお会いしましょうという話になりました。私も10月20日~27日の中国訪問から帰国後は時間のゆとりができますので、皆さんのご都合のよい日を選んでどこかでお会いできればいいなと思っています。市橋君が出所できる可能性がでてくるまで長い年月がかかりますので、私たちも時々はお会いして、状況の確認をしていきましょう。 ブログをチェックして下さりありがとうございます。経済的に、体力的にいつまで続けられるかわかりませんが、今年も古巣のノースカロライナ州に来ています。ただ、前後の予定がありましたので、滞在できるのは約2週間だけです。そのために、いつも会いに行く遠方の友人たちに会いに行くのは止めていつも滞在するローリー市(住所はキャリー市?)の台所付きのモーテルでのんびり過ごしています。マージーさんが気を利かして、私の空手の弟子たちOver-the-hill-gang(下り坂の男たち)全員に連絡をして私の旅行計画を立ててくれたのですが、そうするとほとんど毎日車を運転してあちこちに行かなければならなくなるので、全部キャンセルしてもらいました。今度もっと長期間滞在できる時に会いに行くからということにして、今回はいつもと同じモーテルに滞在してスケジュールに追われないのんびりした時間を過ごすことにしました。 スケジュールをチェックする手帳の要らない生活というのはいいですね。朝6時に起きて、シャワーを浴びて、朝ごはんを食べて、天気の具合をみてさて今日は何をしようかと考えています。とは言っても、朝の散歩や夕方のジョギングや、研究所や大学を訪ねる約束や、トコジラミの捕獲など決まっていることも少しはありますが。 写真がアップできなくて申し訳ありません。どうしても駄目な時は、日本に帰ってから自宅のパソコンで追加でアップしようと思っています。今日は今から昨日マンションに設置したトコジラミのトラップをチェックに行きます。夕方にはビル君と同じアパートに住んでいる空手の弟子/友人のモーリーンさんという女性(昨年がんで亡くなったジョン君の奥さん)を訪ねて、ビル君も含めて3人で一緒に食事をすることになっています。 久し振りのお便りをありがとうございました。とても嬉しく思いました。
本山直樹 ノースカロライナ州のモーテルExtended Stay Americaにて E-mail: motoyama335@aol.com ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

朝はいつものように6時に起きて、シャワーを浴びて、朝食を食べて、Regency Parkの池の周りを約1時間かけて散歩をしてきました。Tシャツ、ジーパン、運動靴で出かける時は少し肌寒いくらいですが、帰ってくる時にはうっすらと汗をかくぐらいになって快適です。

トコジラミ捕獲のトラップをしかけたマンションに行って、靴カバーをして使い捨てのつなぎ(ジャンプスーツ)を着て、部屋の中に入り、ベッドやソファーの上に置いたトラップをチェックしましたが1匹も入っていませんでした。コップの中は泡のあとがあったのでイースト菌が砂糖を分解して炭酸ガスは発生した筈ですし、使い捨てかいろも固くなっていたので熱も発生した筈です。もしかしたら、プラスチック製のペットの餌皿が滑りやすくて登れなかったかもしれないと思って、ペーパータオルの真ん中をくり抜いてスカートのように餌皿にテープで貼り付けて、新たにトラップを仕掛けてきました。今度は床のカーペットの上にも置きました。その他に日本から持ってきた(日本環境衛生センターから貰ってきた)トコジラミの匂い(集合フェロモン活性がある筈)がしみ込んだ紙片を黒い紙の上に置いて、その上に黒い紙を蛇腹状に折ったものを載せました。トコジラミは狭い隙間に潜む性質があるとのことですので、仲間の匂いに引き寄せられてこの中に入ってくれることを期待しています。明日チェックしてみて、これでも捕獲できなければ、私自身が裸になってベッドやソファーやカーペットの上に横になって、吸血しに寄ってくるトコジラミを捕獲するつもりです。今日はルーペ(虫眼鏡)と懐中電灯も持っていったので、マットレスの角や、タンスの引き出しの中や、トコジラミの潜んでいそうなところを観察してみましたが、小さなゴキブリの死体はありましたがトコジラミもその血便と呼ばれる排泄物も見当たりませんでした。

今日は夕方ビル君とモーリーンさんに会う約束があったので、午後早めにLake Johnsonに行って1周3マイル(約5Km)をジョギングしてきました。昨日のジョギングの影響で太ももが張って筋肉痛がありましたが、歩かずに全部走りました(41分)。館山若潮マラソンのフルマラソン70才以上の部にオンラインで申し込み、参加費5000円も払い込みましたので、これから来年の1月末までトレーニングを積み重ねて制限時間(6時間〉以内に完走できるようにしなければなりません。目標時間は一応5時間半として申し込みました。

午後4時半にビル君のアパートに行き、1階に住んでいるモーリーンさんの部屋を一緒に訪ねました。1年ぶりに会ったのでお互いに強くハッグ(抱き合い)をしましましたが、ビル君もハッグをしてもらったら、私のお陰で自分も1年に1回ハッグしてもらえると言って喜んでいました。ハッグは握手よりもより親愛の感情が伝わります。 モーリーンさんの部屋で3人で1時間くらいいろいろな話をしました。亡くなったジョン君は私の空手の弟子でしたが、アメリカ人のお父さんは終戦直後に日本を統治していたアメリカの進駐軍の兵士として名古屋近くの空軍基地に駐屯していて、名古屋でジョン君のお母さん(日本人)と出会って結婚しましたので、ジョン君は混血(ハーフ)として生まれました。お母さんは終戦まで敵軍だったアメリカ兵と結婚したので親に勘当されて、結局一度も里帰りせずにアメリカで亡くなってしまいましたが、モーリーンさんが日本人とのハーフのジョン君(当時は長髪でひげも生やしていた)と結婚した時は、モーリーンさんの父親も大反対したそうです。そのお父さんも今は92才で施設に入っていて、モーリーンさんは毎週日曜日には必ず会いに行っているのだそうです。ジョン君の遺灰はきれいな箱に入ってタンスの上に置いてありました。すぐ横には二人で撮った写真が何枚か飾ってあって、モーリーンさんはジョンはまだここにいると言っていました。 一緒に食事に行こうと誘ったのですが、すでに夕食の準備がしてあるからと固辞されたので、ビル君と二人だけで近くのキャメロンビリッジというショッピングセンターにあるK&Wというカフェテリアに行きました。

ここのショッピングセンターでも多くのビジネスが開店・閉店を繰り返した中でK&Wだけは私が初めてここに来た1969年から44年間も営業を続けているということは、どれだけ人気があるかを示しています。サラダ類、肉類、野菜類、パン類、デザート類、飲み物類の中から自分の好きなものを選んでトレイ(お盆)に載せて最後に会計をするという仕組みです。セルフサービスのラインに並んでいたら、食事が終わって出て行くお客の中の背の高いハンサムな黒人の男がNaoki!と声をかけて握手を求めてきました。見覚えがなかったので、誰でしたかと訊いたら、私に空手を習ったCurtis(カーティス)だと名乗りました。それでも思い出せなかったら、1969年にPullen ParkのArmory(軍事教練体育館)でCorbet StricklandやDavid Saundersらと一緒だったと言われて初めて思い出しました。ビル君も同じ時期に空手をやっていたので、自分もその中にいたと自己紹介しました。44年ぶりに出会ったのによく私を覚えていたなと感心したら、ビル君がNaokiはその当時とちっとも変わっていないからだと言いました。27才だった当事と71才の現在では大きく変わった筈ですが、多分未だ日本人がほとんどいなかったアメリカ南部で日本式の厳しい武道の指導をしたことで強く印象に残っているのでしょう。今考えれば、身長167cmしかなくて一番小さかった私が、190cmや2mもあるようなアメリカ人を相手によくやったものだと自分でも驚いてしまいます。Armoryは大きな体育館ですから、多い時は一度に100人くらいの弟子たちを相手に、ろくに英語もできない時に空手の突きや蹴りや組み手の稽古をさせて、ちょっとでも動作が緩慢で弛(たる)んでいる時はうさぎ跳びや腕立て伏せの罰をやらせて、それでも皆が私の指導についてきて、44年ぶりに偶然再会したら私を覚えていてくれて声をかけてくれたのですから、自分でも感心しました。

会計を済ませて食事をする空いているテーブルを探そうとしたらビル君がちょっと待てと言って、ウェイトレスの中で非常に小柄なアジア系の女性を見つけて君の担当のテーブルはどこかと聞きました。彼女が指差した窓際の2人掛けのテーブルを選んで座りましたが、彼女はビルマ(ミャンマー)から来たそうで、彼女にチップをあげたいためにそうしたのでした。セルフサービス式ですから、チップは不要なのですが、ティーやコーヒーを補充しにきてくれるので、それに対して少しでも彼女にお金を稼がせたいという配慮でした。チップをテーブルの上に置いておくと、食器を片付けにきた他の人に持っていかれる可能性があるので、帰りがけに直接彼女に3ドル(約300円)手渡していました。ビル君自身、決して裕福ではないのですが、外国から来て頑張っているビルマの女性を応援しようという、そういう気持は日本人もアメリカ人も同じだなと感じました。