昨夜は防除業者が使った探知犬がトコジラミの臭いを検出したというマンションの部屋に寝て、吸血をしに寄ってくるトコジラミを捕獲するつもりでしたが、残念ながら結局1匹も私の体には寄ってきませんでした。アメリカのトコジラミだから日本人の血は美味しくないのか、71才の老人(高齢者)の血は美味しくないのか、私が待ち構えているのを察知して寄って来なかったのか(冗談です)。トコジラミ独特の臭いを嗅ぎ分けられるように訓練された犬と言っても、生きている個体と死んだ個体と排泄物の臭いを本当に嗅ぎ分けられるのか、それとこの時期には野外のカメムシ(こちらではBrown Stinkbugと呼んでいました)が室内に入ってきますので、トコジラミもカメムシの一種ですからその臭いと混同することはないのか、私にはわかりません。仕方がないので、金曜の朝にノースカロライナ州立大学の昆虫学の教授のDr. Coby Schalに会いに行って、彼の研究室で飼育している個体群から少し分譲してもらえないか相談してみることにしました。アメリカの大学はおもしろくて、Schal(ショール)教授の研究室ではトコジラミを大量に飼育していて、農薬会社などが薬剤の探索研究でトコジラミが欲しい時は、1匹いくらで販売しているそうです。収入の20%が大学に入って、80%は研究室に入って研究費として使えるのだそうです。
今日は朝早くモーテルに帰って、いつものようにシャワーを浴びて、ひげを剃って、朝食をして、外にでてみたら半袖シャツでは肌寒いくらい気温が下がっていました。これから急速に秋になるのかもしれません。
11時には約束通りノースカロライナ州立大学のRoe 教授を訪ね、2年振りでしたのでいろいろな話をしました。トマトの成分から見つけた蚊の忌避剤BioUDは、一時期WAL-MART(ウォルマート)というスーパーマッケットで試しに売っていましたが、その後Scotts社という農業資材を販売している会社と契約を交わして、$100万(約1億円)と権利の使用料として毎年$1万(約100万円)を10年間も払ってもらったそうですが、ビジネス展開する計画がなくなったということで、権利を返してきたそうです。先行している既存のディートという忌避剤が普及しているので、ビジネスチャンスがないという判断をしたのでしょうか、理由は不明だそうです。一方、Roe教授とHodgson教授らのグループでは、人間の遺伝子を対象に薬物の影響を調べるシステムを確立していて、ディートについては男性ホルモンの代謝に関与する酵素の遺伝子に影響するということを見出して、近々Sienceという科学誌に発表するとのこと。男性ホルモンの代謝に関与する遺伝子に影響するということは、内分泌かく乱活性に関与する可能性がありますので、ディートの安全性について見直す時期が来るかもしれません。ただし、遺伝子レベルの話と、個体レベルの話は必ずしも同じではありませんし、ディートは第二次世界大戦中にアメリカ軍兵士をマラリヤから守るために使われてから長年世界中で使われてきた実績がありますので、この論文が発表されてからどういう展開になるか興味深いところです。一方BioUDの方はUSEPAの認可も下りていて、Scotts社が大金を使って世界各国の特許もとってくれたそうです。有効成分の最大の製造会社は日本の会社だそうで、一緒に開発に関わったある研究者はマレーシアでビジネス展開をしてすでに相当量販売しているとのことでした。誰か販売に興味のある会社があったら仲介してくれないかと頼まれましたので、それじゃ日本に帰ったらいろいろなところに話しかけてみるからと返事をして、研究室にあったサンプルを1本もらってきました。成分がトマトに含まれる天然物で、蚊だけでなく、マダニやサシバエなどにも忌避効果があって、今ではこれを練りこんだ軍服や森林内を歩く時の服もできているそうです。面白い使い方の事例としては、今まで牧場の牛や馬の吸血性害虫の防除には全部に殺虫剤を処理しなければならなっかのが、1頭にだけ殺虫剤を処理して、残りにはこの忌避剤を処理しておけば、害虫は忌避剤を処理された動物を避けて殺虫剤を処理された動物に集中して寄生するので、簡単に防除ができるのだそうです。
昼はHodgson教授、Roe教授、テクニッシャンのJohn Snider君(1969年の私の空手のクラスにいたことがある)と私の4人で大学近くのレストランに行って、4人でおしゃべりしながら食べました。私はBLT(ベーコン、レタス、トマト)というサンドイッチとフレンチフライ(フライドポテト)とアイスティーを注文しました。Hodgson教授は81才ですがまだ週7日元気に働いておられ、私が71才、Roe教授とSnider君は61才ということで、ちょうど10年間隔でした。ノースカロライナ州は南部の田舎ですから、Hodgson教授やRoe教授が着任した当時の人種差別や偏見や興味深いエピソードをたくさん聞きましたが、いずれ紹介することにします。
Medical Entomologyが専門のApperson教授とは、昼食後に研究室に寄って蚊の防除の問題について少しだけ話をしましました。今一番の話題は、日本の住友化学が合成ピレスロイド剤を練りこんだ蚊帳(Bed Net)をマラリヤ防除用に開発して(私の名古屋大学時代の後輩のI氏が開発に関わって社長賞をもらっている)、多分国連のWHOなどを通してアフリカに供与してマラリヤ防除に使っていますが、最近蚊がピレスロイド抵抗性を発達して、そのメカニズムが作用点の感受性の低下(いわゆるKDR)ではなくチトクロームP450という解毒酵素の過剰発現にあるということです。そのために有機リン殺虫剤やカーバメイト系殺虫剤にも交差抵抗性を示して、これからアフリカでのマラリア防除をどうするのかが問題になってくるとのことです。このP450は一般に昆虫体内で解毒が行われる脂肪体や中腸ではなく、キューティクル(皮膚)の細胞に過剰発現しているので、昔モモアカアブラムシでカルボキシルエステラーゼの過剰発現で確認されたように、体内に侵入してくる殺虫剤分子と結合して無毒化する捕捉タンパクの役割を果たしている可能性もあるとのこと。私は研究テーマを何年も前から殺虫剤の毒性機構の解明から農薬の環境問題や健康影響問題に変えてしまいましたが、その間に殺虫剤抵抗性機構の研究分野でもいろいろ面白い展開があったようです。
トコジラミというのは戦争直後まではアメリカでもどこにでもいて、子供が夜寝る時に親が"Good night and do not get bitten by bedbugs!"(お休み、寝ている間にトコジラミに刺されないように!)というのが普通だったようです。それがDDTや有機リン剤などの殺虫剤散布でゴキブリその他の家屋害虫を防除するようになってトコジラミも同時防除されていたのが、近年になって室内での殺虫剤散布を止めてベイト(毒餌)による防除方法が普及するに伴って、トコジラミが増加してきた可能性もあるのではないかという話もでました。この説はまだ証明されているわけではなさそうなので、これからが楽しみです。
果樹や野菜の害虫防除でも同様な現象が知られていて、特定の害虫にだけ効果のある選択的殺虫剤の使用が普及したり、通常特定の害虫にしか効果のない天敵の使用が普及すると、今まで非選択的殺虫剤で同時防除されていた潜在的害虫が顕在化してきて被害をもたらすことがありますので、トコジラミについても抵抗性の発達以外に同様な現象が起こっていても不思議ではないなと思いました。
夕方は、いつも食事を作ってくれるマージーさんへのお礼として、「すしつね」という日本料理店(おすし屋)に行ってご馳走しました。毎年1回は行く店なので大将とは顔なじみで、私は「すしスペシャル」と味噌汁とジンジャーソス(生姜味)のサラダを注文し、イカ、タコ、ホタテも追加してもらいました。マージーさんは「すしと刺身のコンビネーション」を注文しました。
明日は朝食後、一泊二日の予定でケリー君・ジェイニーさん夫妻を訪ねてバージニア州のアララットという山の中に出かけます。