2014年2月23日日曜日

房総半島南端の平砂浦の砂防林の松は昭和23年に県に造成を陳情、24年に県が決定、25年から植樹が開始されました。昭和25年は1950年ですから、今から64年前になります。その後、マツノマダラカミキリが媒介するマツノザイセンチュウによって松が枯れるいわゆる「松枯れ」又は「松くい虫」が全国的に猛威を振るいました。千葉県では2007年まではヘリコプターで有機リン殺虫剤のフェニトロチオンを散布することで、被害を最小限に抑え、松林は守られていましたが、ネオニコチノイド剤の地上散布年1回に切り換えた2008年以降の防除の失敗により平砂浦の松林はほぼ消滅してしまいました。松林を再生するために、館山市は昨年から植樹祭を実施して松苗の5000本植樹を始めましたが、今年は今日植樹祭が実施されました。

私は「平砂浦に松を植えた古老を囲む会」の会場設営を8時半からいこいの村たてやまで行う予定でしたので、途中少々の渋滞があってもいいように松戸の自宅を朝5時に出発しました。ところが、日曜の早朝だったせいか道路は空いていて、館山には朝7時に着いてしまいました。さすが館山は暖かく、桃の花と菜の花が咲いているところがあったので、車を止めて写真を撮りました
いこいの村たてやまに予定よりもずいぶん早めに着いたので、偶然同時間に到着した樹木医の阿部 豊氏と一緒に松が少しだけ残っている砂防林の中を歩き回って樹皮下にフラス(マツノマダラカミキリ幼虫が食害した木屑と虫糞の混合物)が貯まっている木を見つけ、持参した携帯用鋸(のこぎり)で切って手斧で縦に割りました。食害して作ったトンネルの中に越冬状態の幼虫が入っている幹や枝を採取して、古老を囲む会の展示テーブルに並べました。テーブルにはその他に、成虫の標本や、真ん丸の羽化脱出口が残っている被害木や、実体顕微鏡3台も置いて生きているマツノザイセンチュウを観察できるようにしました。壁には90×180cmの発泡スチロール板を横向きに4枚吊るして、松林や松くい虫に関するいろいろな写真を展示しました。

植樹祭には500人をちょっと超える人が参加し、あらかじめ準備してあった各区画(4×8m)の目印に竹串の挿してある場所にクロマツ16本、アキグミ8本、マサキ4本、トベラ4本を次々に植えていきました。天候にも恵まれて団体や家族連れや個人で参加した人たちが、50年後、100年後にりっぱな松林に育つことを想像しながら、今自分がその種をまいているという満足感を味わいました。
その後古老を囲む会の会場に移動しましたが、地元住民の他に館山市長、市役所の担当者、県議、市議、千葉県南部林業事務所長も顔を出してくれたり、最後まで参加してくれました。私の基調講演、故田辺 昇氏の出演しているDVDの映写に続いて、古老と実行委員による座談会が東京農工大学名誉教授で南房総市在住の安部 浩先生をコーディネーターとして実施されました。30部用意した配布資料が1部だけ残っていましたので、私以外に少なくとも29名の参加者があったようです。短い準備期間の割には、充実した内容の一石を投じることができたと思っています。これをきっかけに波紋が広がり、砂防林を再生し守っていこうという意識が高まり、行政と地元住民の絆ができていけばいいなと期待しています。