2014年6月5日木曜日

関東甲信越も今日から梅雨入りだそうですが、午前中降っていた雨が昼頃は止んだので、運動に出かけました。体育館の男子更衣室の床がまた砂でザラザラしていたので、箒(ほうき)で掃いてからモップがけをしました。先日も同じように掃除をしていたら、シャワーを浴びに入ってきた学生が清掃の人ですかと声をかけてきたので、この大学の名誉教授だよ、あんまり汚いのに学生諸君は誰も掃除をしないので私が週に1回は掃除をしているのだよと言ったら、驚いた顔をしていました。

江戸川の上流に向かって往復10Km 歩いたり走ったりしてきましたが、雨上がりで気温も低かったので楽でした。昨日の農家の門の前を通ったら奥さんがおられたので、こんにちわ、またお会いしましたねと挨拶を交わしました。門の前の花の名前を訊いたら、ゴテチャ(色待宵草)という耳慣れない名前を教えてくれました。家に帰ってネットで調べたら、
http://www.jtw.zaq.ne.jp/tanakun/watch3/gote.htm 
アメリカ原産だそうです。

畑はどこにあるのですかと訊いたら、矢切(やぎり)にあって、時期によってキャベツ、ネギ、枝豆などを作っているとのことでした。息子さん達と2世代同居しているが、息子さんは市役所に勤めているので農業は自分たち老夫婦の時代で終わりですと言っていました。矢切の辺りは、伊藤左千夫の小説「野菊の墓」が書かれた1906年頃は水田がほとんだったのではないでしょうかと松戸の昔の話になったら、この辺りは自分がお嫁に来た頃は小山(こやま)村と呼ばれていて、江戸川も橋がなかったので小向(こむかい)というところから渡し舟で川を渡っていたと話してくれました。

緑地環境学科の女子学生を千葉県森林研究所でマツノザイセンチュウの培養と接種技術の研修を受けさせるために、どういう手続きが必要か確かめるために同研究所に勤務している園芸学部の卒業生のF氏に電話をして平砂浦のマツ苗の大量枯死の原因解明をしていることを話したら、予期しなかった面白い情報が入りました。平砂浦の大量枯死が起こった区画では、抵抗性のマツ苗を植樹したが、抵抗性を検定するために、植える前にマツノザイセンチュウを接種した苗を植えた筈だとのことでした。枯死苗の地際部分の輪切り切片を作ってマツノザイセンチュウのDNA診断をすると、陽性反応を示しましたが、ベールマン法では線虫そのものは分離できず不思議だったのですが、接種したマツノザイセンチュウ自体は死んで、DNAが切片の中に残っていて反応したと考えれば理解できます。
これでもう、マツノマダラカミキリが発生していない時期にマツノザイセンチュウがどこから来たのかは考える必要がなくなり、可能性のある残りの要因を一つ一つチェックしていけばよいということになります。

松くい虫問題を一緒に研究している樹木医のA氏から、新潟県庁が発表した資料が送ってきました。それを見るとヘリコプターによる有機リン殺虫剤の散布を中止してから徐々にマツノマダラカミキリの密度が高まり、3~4年後には松くい虫による被害材積量が急増して、昨年は過去最悪になったことが明らかです。千葉県や出雲市で起こったことと全く同じ状況です。農薬散布は松くい虫防除に効果がないと驚くべき主張をして反対活動をする人がいまだにいますが、散布を止めたら激害が発生する事実に対して、また何か屁理屈を考えるのでしょうか。そのためにマツがどんどん枯れていくのですから、こういう無責任な姿勢は、大学紛争当時に言葉巧みにマスコミも使って大衆動員をして暴れまわって大学破壊活動をしていた過激な団体とそっくりです。
私は6月19日は新潟市で開催される農薬シンポジウムで基調講演をすることになっていますので、一泊して翌日県庁を訪ねて、さらに詳細な情報を入手してこようと思っています。また、私たちが新潟県のいくつかの市町村で何年間か調査研究をしてきた海岸砂防林の現在の状況視察もしてこようと思っています。