2014年6月2日月曜日

千葉大学園芸学部の事務に電話をして、先週の金曜の夕方に私との連絡方法を教えてほしいと言われた方の電話番号を教えてもらい、こちらから電話をしてみました。鳩山内閣の時にできた全国のNPO法人の活動や意見を社会に情報発信する「市民キャビネット」http://www.nalc.jp/Tokyo/shimin-cabinet/top.htm という組織のS氏で、「農薬から農業と環境を考える」(案)というテーマのフォーラムを7月26日(土)に企画しているので、第一部の基調講演に、農薬に批判的な立場のもう一人の演者とならんで、私にも参加してもらえないかという依頼でした。

他にも打診してみたようですが、断られて、皆さんが私を推薦したとのことでした。私は産官学で言えば「学」の出身で、特定のグループの利害にかかわらず、事実を見て是々非々で判断し発言する立場ですから、どなたとでも一緒のテーブルに座ることができます。ちょうど日程的にも予定が入っていない日時でしたので、参加を了承しました。メールアドレスをお知らせしましたら、早速「市民キャビネット」の活動とフォーラムの企画案が届きました。
どういうことになるか、楽しみです。

今日もかなり暑くなるという天気予報でしたが、昼休みに体育館の男子更衣室の掃除とモップがけをしてから、東京湾に向かって江戸川堤防の左岸を下流方向にちょうど2時間ぐらい歩いたり走ったりしてきました。今日はそのつもりでカメラを持参して、写真を撮ってきました。この間まで赤い実がついていたクチナシの木に白い、いい匂いのする花が咲いていました。河川敷の江戸川ラインゴルフ松戸コースの芝生は緑が鮮やかで、たくさんのグループが気持ちよさそうにプレーをしていました。

「矢切の渡し」の辺りの堤防下は、遠くの斜面林までの広大な農耕地で、いろいろな作物が栽培されていました。伊藤左千夫が1906年1月に雑誌「ホトトギス」に発表した小説「野菊の墓」http://www5b.biglobe.ne.jp/~michimar/hon3/041.html にちなんだ碑が立っていて、堤防と直角に続いている農耕地の間の細い道の突き当りが、遠くに見える斜面林で、その高台に小説の主人公は住んでいたようです。そこから見える田園風景のことが小説には書いてあると碑には説明がありました。今は写真のようなネギやキャベツやジャガイモやトウモロコシなどが栽培されていますが、1906年頃は、多分ほとんどがお米を作る田んぼだったのではないかと想像されます。