2014年10月14日火曜日

Tate夫妻は両方とも再婚ですが、奥さんのリンダさんの子供の一人で26才のカール君とラリー君の息子ジェイソン君の17才の娘デイナさんが同居しています。カール君は働いていた職場を辞めて、2年間の技術学校に通っていたのも止めて、コンピューターゲームにはまっているらしく、日本でもよく見られるいわゆる何も目標がなく親の家でブラブラしている子供(といっても26才の青年)です。デイナさんは可愛い女の子ですが、父親のジェイソン君が離婚して家庭がおかしくなっておじいさんにあたるラリー君が引き取って一緒に暮らしています。学校はどうしたのかとラリー君に訊いたら、Home Schoolと言って、自宅でオンラインで通信教育を受けているとのこと。日本でもアメリカでも、何かこの時代に共通した子供たちに夢や目標を持てなくさせる何かがあるのでしょうか。

朝は雄鶏のコケコッコーが5時半頃と6時半頃の2回聞こえましたが、そのまま8時近くまで寝ていました。台所で音がしたので起きてみたらラリー君がコーヒーを沸かし始めていました。リンダさんとマージーさんも起きてきましたが、ラリー君と私は彼の小型トラックで松林を回って枯れた松の木の樹皮を手斧で剥いで、ドリルに直径15mmのビットを付けて穿孔して材片を採取しました。
その後車で松のプランテーション(パルプの原料にする松を植栽している広大な松林)を回ってみましたが、枯れている松はほとんどありませんでした。従って、この辺りでは松枯れ木は100万本に1本くらいの割合かなというのがラリー君の推察でした。それにしては、昨日シャーロットの近くの町の会社の敷地の周りでかたまって見つけた10本の松枯れは異常です。

ラリー君に頼んで以前一度見せてもらったことのあるTate家の先祖の墓地に連れて行ってもらいました。Tate牧場と地続きの今は従妹の所有になっている森の中にあって、ラリー君が自然更新で生えてくる木を取り除いたり、垣根を作ったりして管理をしているようです。興味深いのは、おじいさんのおじいさんくらいの時代でしょうか、南北戦争に南軍兵士として従軍した人の墓標があり、1847年に生まれて1891年に没したと記してありますので、44才で亡くっています。もう一つの背の高い珍しい形の墓標には1844年に生まれて1913年に没したとありますので、67才で亡くなっています。今でこそ80才くらいまで生きるのは普通になってきましたが、アメリカでもちょっと前までは平均寿命はもっと短かったのかもしれません。こうやってアメリカ南部の田舎の森の中のひっそりとした墓地で、墓標に書かれている人の名前や生没の年月日を見ていると、南北戦争当時の様子が想像できて、映画や小説の中の世界にいるような気分になります。

朝昼兼用の遅い食事を済ませてから、Tate家を出発し、途中ラッシュアワーの渋滞にぶつかりましたが、4時間ちょっとでローリーまで帰ってこれました。夕食はマージーさんの希望で、すしつねというお寿司屋ですしスペシャルをご馳走しました。
モーテルに着いたら、妻がEMS便で送ってくれた戸籍謄本と写真が届いていましたので、来週の前半にワシントンDCの日本大使館にパスポートの発行をしてもらいに行かなければなりません。自分で車を運転していくか、バスに乗っていくか、列車に乗っていくか、今から料金や時間などを調べてから決めようと思っています。