2014年12月22日月曜日

明日23日(火)は天皇誕生日でまた祭日なので、今日のうちにと思って土浦拘置支所に行ってきました。受付で、水戸少年刑務所の支所ということはここには少年が入っているのかと訊いたら、少年は少年院に入るので刑務所には入らないし、水戸も今は水戸刑務所となって大人の受刑者が服役しているとの答えでした。1時ちょっと過ぎに到着したのですが、番号札は12番でした。もう一度塀の外に出て、面会者の待合所で待機して番号を呼ばれたら、塀の中に入って荷物を全部ロッカーに入れて指定された面会室に行くようにと言われました。
待合所には2才の女の子を連れた若いお母さんがいたので、荷物は手帳やノートも駄目なのかと訊いたら、金属探知機で反応するものだけが駄目で、実際にはそれ以外のものは持ち込んでも大丈夫とのことでした。
指定された面会室2のドアを開けたら、千葉拘置所の場合と同じようにガラスで仕切られた向こう側に私に手紙をくれた男性(Aさん)が座っていて、その斜め後ろに刑務官が座っていました。手紙を2回もらったのでどういう用件かと思って面会に来たと告げると、手紙での返事だけで私が直接面会にきてくれるとは思っていなかったとのこと。何をしたのかと訊いたら、窃盗とのこと。何才ですかと訊いたら、52才とのこと。仕事は何をしていたのかと訊いたら、ちょっと考えてから建築(建設?)関係とのこと。前科があるようなので、建築現場でパート労務者として働いていたのかもしれません。弁護士から、私が市橋君の支援活動をして多くの女性が物心ともに支援してくれたと聞いたと言いましたので、市橋君は千葉大学の卒業生で私の空手の弟子でもあったので、適正な裁判を受けさせるために支援活動をしたが、今は裁判は結審して無期懲役で服役しているがどこの刑務所にいるのかも私にはわからないということと、30年服役後に仮釈放される可能性があるとのことだが私はすでに72才なのでそれまで多分生きてはいられないので、その時のために支援金の残りを私より年齢の若い人に管理してもらっていると話しました。私に何をしてほしいのかと訊いたら、自分がまたこんなことになってしまったので姉さんから母親が自殺をしそうだと聞いたので母親に連絡をとってほしいと言いました。せっかく親からもらった命なのに、こんな馬鹿なことをしては駄目じゃないですかと少し説教をしました。手紙ではもうすぐ判決が下されると書いてあったがと訊くと、すでに6年という求刑がされましたと答えたので、6年は短いので服役が終わったら今からでも遅くないのでちゃんと人生をやり直しなさいと説教したら、斜め後ろで会話を全部聞いている刑務官が、求刑は6年でも判決は4年くらいのこともあると言ってくれました。奥さんやお子さんなど、ご自分の家族はいるのですかと訊いたら、フィリッピンの女性と結婚していたけど、帰国してしまって今は連絡もないとのこと。暴力をふるわれて帰国したのか、まともに働かないので愛想を尽かして帰国したのか、子供を連れて帰国したのか、・・想像をすればきりがありませんが、今日は初対面でしたのでそれ以上は訊きませんでした。
お母さんの連絡先を教えてほしいと言って、刑務官にここで手帳にメモをとってもいいですかと訊くとOKとのことだったので、住所と電話番号を書き取りました。(帰宅後に息子さんに面会してきたことを伝えようと思ってすぐ電話をしてみましたが、あいにく留守でした)
Aさんは一見ヤクザのような目つきや風体(ふうてい)にも見えましたが、よく見ると優しい性格のようにも見えました。一度前科がつくと、罪を償ってから社会復帰しようとしても、なかなか社会に受け入れてもらえなくて再犯に走る割合が高いと言われますので、Aさんも厳しいだろうなと想像します。
再度お母さんに連絡をとって、もっと詳しい事情を訊いてみようと思っています。

今日は時間の余裕があったので土浦駅から拘置支所まで往復とも歩きましたが、途中にある土浦市役所の小高い丘の周りには大きな松の木が10本くらいありました。元々はもっとたくさんあったのが松くい虫被害で枯れて、10本くらいが残ったのかもしれません。全部に樹幹注入剤(マツガード=有効成分はミルベメクチン2%)施工済のラベルが留めてありました。丘の上からは筑波山が近くに見えました。
土浦駅西口前にはちょっとした緑地があって、人工的な川と池と紅葉が配置されていました。