2014年12月26日金曜日

常磐線の電車で土浦駅まで行き、徒歩で市役所の前を通って土浦拘置支所に着いたのは午後1時半ぐらいでした。面会の申請書に必要事項を記入し、住所は被面会者には知らさないというところに丸をして、前回と同じ塀の外の面会者待合室で番号を呼ばれるまで待ちました。今日の番号札は13番でした。市橋君との面会に行った千葉拘置所や東京拘置所と違って、ここの面会時間は家族・非家族にかかわらず30分となっているのでゆっくり話ができます。若い女性の2人連れや、初老の父親らしい人や、ちょっと組員みたいな感じの男性や、・・いろいろな人が面会に来ていますが、塀の中から刑務官が出てきて番号札が何番の方は被面会者が面会を拒否しましたのでお帰り下さいと言っていました。せっかく面会に来たのに、会いたくない人がいる場合もあるのかと思いました。

約1時間待って、私の番号が呼ばれたので塀の中に入ってロッカーに荷物を入れて、指示された面会室3に入りました。前回(月曜)に面会に来た時に書き取ったA氏の実家の電話番号に毎日何回電話しても誰も出ないので、昨日車で訪ねてきたことを話しました。カーナビに入力した住所の所に3~4軒の家があったので、そこに車を止めて電話をしてやっと姉さんと話ができたことと、会話の内容を話してあげました。お母さんは病院から処方された精神安定剤を飲んで、今は気分が安定しているということ、姉さんがちゃんと世話をしているので心配要らないということを伝えました。その間A氏は嬉しそうな顔をして、私の報告を聞いていました。姉さんの家族はいるのかと訊いたら、出戻りで姪(めい)っ子を育てていてその娘がもう大学を卒業する年齢だとのこと。A氏は何才までこの家で育ったのかと訊いたら、高校卒業まで家にいて、その後は水戸の専門学校で原子力について2年間勉強したとのこと。
撮ってきた写真をガラスの仕切り板越しに見せて、家はこの中のどれですかと訊いたら、一つの写真を指してこれですと答えました。りっぱな農家の家です。もう何年も実家には帰っていないでしょうから、霞ヶ浦の写真も見せました。姉さんが、連絡がないから弟がどこに住んでいるかもわからないと言っていたよと言ったら、今回の事件を起こした時は千葉に住んでいましたと答えました。

あんな田舎の農村で長男が悪いことをして警察に捕まれば、たちまち村中に噂が広まってお母さんと姉さんはずい分肩身の狭いつらい思いをしているのではと言ったら、頷(うなず)いていました。私はつい元教師の性分がでて、なんでそんな馬鹿なことをしたのか、もっとちゃんとしなければ駄目じゃないかと説教をしていました。52才になって、父親のように説教をしてくれる人はいなかったのか、神妙な面持ちで、それでいて嬉しそうに私の説教を聞いて頷いていました。
裁判は裁判員裁判ではなく一般裁判で1月16日(?)に開催が決まったと言ったので、私は市橋君の裁判で証人として証言台に立ったことがあるけど、抽選で選ばれる裁判員には当たり外れがあるので(犯罪そのものを正確に理解しようとするのではなく、ミーチャン・ハーチャン的な興味本位の質問しかしなかった)、一般裁判でむしろよかったかもしれないという感想を伝えました。
求刑通り6年の懲役になるか4年になるかわからないけど、どちらにしてもしっかり刑期を務めて、あんなにりっぱな手紙を書けるのだし(2通ともしっかりした文章でした)、ボイラー技士としての資格を生かすなりして、真面目に働いて生活ができるようにして下さいと諭しました。

お母さんのことは姉さんがちゃんと世話をしているので心配要りません。私は牧師でもないし弁護士でもないのでこれ以上A氏にしてあげられることはありません。これが最後でもう面会には来ないので、後は自分の責任で生きて下さいと言って面会室を出ました。市橋君の時と同じように、A氏も頭を下げて感謝の意を表して私を見送ってくれました。
弁護士(多分、国選弁護人)がどういう考えでA氏に私に手紙を書くように勧めたのかわかりませんが、私が関わるべき特別の事情は見当たりませんでしたのでA氏に対する私の役割はこれで終わったと思います。

昨日は私が留守の間にアメリカ在住の娘の家族から電話があり、孫たちも一人一人がメリークリスマスと言ったと妻が報告しました。時差があるので、今頃クリスマスツリーの下に置いておいたプレゼントを家族全員が開けて喜んでいる筈です。

明日は午後2時半から稲毛海浜公園で千葉大学走友会の練習会です。全く競争的に走れる体調ではないので、ちょっとストレスに感じますが、何とか8Km をマイペースで完走できればと思っています。走った後の仲間との懇親会/忘年会は大いに楽しみです。