2014年12月18日木曜日

一昨日の外資系農薬メーカーのドイツ人社長との話し合いの中で、いわゆるGreen Party(緑の党)と呼ばれて、自然保護や有機農業や反農薬活動をしている人たちはどこから発生したのかということが話題になりました。1960年代後半から1970年代前半にかけて、アメリカでもヨーロッパでも日本でも大学紛争が頻発して既存の体制や権威に対する反抗運動が活発に行われましたが、そこが源流だということになりました。ネットで調べたら、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B7%91%E3%81%AE%E5%85%9A 確かにそのような感じがします。

日本では、大学紛争は東京大学の安田講堂に立てこもった学生たちが機動隊に排除された以降は、時々追い詰められた過激派集団が内ゲバ事件を起こした以外は終息に向かい、環境問題や反遺伝子組換えや有機農業推進や反農薬活動に転向していったような気がします。アメリカでも、私が留学した1969年当時はまだ大学紛争が少しは残っていて過激な活動(あちこちの大学を渡り歩いて紛争の火種を焚きつける)をしている活動家が私の空手の道場にも偽名を使って入門してきたりしていましたが、国民の支持が得られずやがて終息しました。ヨーロッパでは何が違ったのかはわかりませんが、Green Party として勢力を伸ばし、欧州議会でもかなりの議席を獲得して政治的影響力を発揮しているようです。

グリーンピースについても話題になりましたが、設立者自身が現在のグリーンピースの過激な活動は支持できないとして組織を去って、グリーンスピリットという別の団体を立ち上げて活動をしているとのことでした。これもネットで調べてみたら、グリーンピース (NGO) 詳しい情報が載っていました。
反捕鯨の過激な活動で日本でも注目を集めたシーシェパードというのは、グリーンピースは生ぬるいとして派生してできたさらに過激な団体とのこと。

グリーンピース・インタナショナルの中でグリーンピース・ジャパンがどういう位置付け(関係)なのか私にはわかりませんが、2~3ケ月前に朝日新聞と読売新聞に掲載した反ネオニコチノイドの全面広告は、科学的事実を無視してメディアや世論を自分たちの活動方向に動かそうとする政治的スローガンのように見えました。
しかし、12月5日に東京農大総合研究所研究会農薬部会が主催したネオニコチノイドの健康影響とミツバチ影響について検証するセミナーに参加をされたということは、団体としての既定の政治的目標とは別にちゃんと科学的事実を勉強しようという正しい姿勢があるようにも思いましたが・・。

今日はテレビも新聞もアメリカのオバマ大統領とキューバのラウル・カストロ国家評議会議長が同時に53年振りに国交正常化に向けた交渉を始めると発表したニュースを大きく伝えていました。ノースカロライナ州のウィルミントン市に在住の私の長年の空手の弟子/友人のサンチェス君(Eugenio Sanchez)は、カストロ前議長が革命を起こした後フロリダに亡命した両親の子供で、スペインにいる親戚は訪問できてもキューバに残っている親戚は訪問できませんでした。大使館も再開して渡航も自由化するようですので、サンチェス君や年老いた両親が故郷のキューバを訪問して親戚と再会できる日が間もなく来ることでしょう。私も明るい嬉しい気持になりました。

私自身も祖父(母の父)穂坂秀一が2千町歩のリンゴ園をやっていた朝鮮の黄海道黄州というところで3才まで育ち(生まれたのは平城=今の北朝鮮の首都のピョンヤン)、終戦(敗戦)で日本に引き揚げてきましたので、いつの日か生まれ故郷を訪問してみたいと思っています。リンゴ園は平城と京城(=今の韓国の首都のソウル)を結ぶ街道沿いにあったと聞いています。西ドイツと東ドイツが統一されて一つの国になったように、韓国と北朝鮮が統一されて一つの国になり、自由に訪問できる日が私が生きている間にくればよいのですが・・。

午前中は歯医者で4ケ月に1回の定期検診と歯のクリーンアップをしてもらい、午後は貸倉庫に行って押し込んである荷物の片付けをしました。歩く場所ができて少し整理できましたが、まだまだ見つけたい本が簡単に見つかる状態ではありません。不要なものを思い切って捨てたり、書庫として利用し易くするにはあと何時間かはかかりそうです。