2015年1月25日日曜日

千葉大学を定年退職後も、「食品安全ビジネス論」という公開講座の中の農薬の安全性に関する部分を非常勤講師として1年に1回だけ担当してきました。本来は私(現在72才)はすでに千葉大学園芸学部の非常勤講師の年齢制限を越えている筈ですが、講座の世話をしている教員が教授会で余人をもって代え難しという説明をして了解を得てくれているようです。今年も、引き続き6月26日(金)に講義をしてほしいとの依頼が届きましたので、了承の返信をしました。この公開講座は学内の学生と外部からの社会人の両方が受講しています。私にできる範囲の社会貢献の活動の一つで、楽しみです。

先日、名張の毒ブドウ酒事件の再審請求が最高裁で却下されたという報道があった時に、混入されていたTEPP(ニッカリンP)という殺虫剤について、私の名古屋大学大学院時代の恩師の一人の齋藤哲夫先生(名古屋大学名誉教授)に電話で質問して当時の状況を教えていただきました。今日は、先生が名古屋大学に来られる前に勤務しておられた静岡県金谷の農林省茶業試験場時代に発表された研究論文その他のコピーが届きました。京都大学農学部農林生物学科に学生として在籍中に行った燻蒸剤に関する卒業論文の研究は昭和25年(1950年)に防蟲科学という学術誌に論文として掲載されています。今から65年前ですが、昭和20年(1945年)の終戦からわずか5年後にこういう研究が行われていたのですから、驚きです。卒業後、茶業試験場に就職されたそうですが、埼玉から鹿児島にいたるまで茶樹害虫防除を一人で取り組まれて大変だったとのこと。当時の日本は外貨獲得の70%が生糸で30%がお茶だった時代で、ハマキ類の防除と製茶品質として農薬の残留問題が重要な研究課題だったとのことです。今から考えると毒性が著しく高い(特定毒物相当)パラチオンやTEPPという有機リン殺虫剤を供試して防除効果を検定したり、機器分析の発達していなかった当時に生物検定法で分解速度の測定や残留濃度の分析をされています。
今では多成分同時分析が高感度でできるGC/MSやLC/MS/MSといった最新式の機器が簡単に使えますが、そういうものが何もなかった時代に、手作りの実験装置で工夫をしながら研究を進めて答えを出していたというのは、若い世代の研究者に是非伝えて残したい貴重な歴史だと思います。

養豚農家のT氏から昨年いただいたお米(玄米)をずっと食べてきましたが、今日妻と一緒に車で松戸市内のJA(農協)に行って、駐車場に設置してあるコイン精米機で最後の10kgを白米にしてきました。帰りに、ネギを門の前に置いて無人で販売している農家に寄って、百円玉2枚を箱に入れて2袋(2kg)買ってきました。