2015年2月20日金曜日

8月にオーストラリアで開催される第2回世界若者農業サミットの参加応募者の選抜審査会は来週の火曜日(24日)ですから、近づいてきました。応募者の何人かはあいにく当日は海外滞在中(ニュージーランド、タイ、インド)ですから、WEBEXという電話会議システムでお互いに顔が見える形でプレゼンテーションと質疑応答をしてもらうようです。
この企画については、「現代ビジネス」というネット誌に主催者のバイエルクロップサイエンス社の坂田耕平氏とのインタビュー記事が掲載されています。http://gendai.ismedia.jp/articles/-/41500

昼休みに江戸川堤防を下流に向かって左岸を2時間ちょっと歩いたり走ったりしてきました。青空の下で、春がすぐそこまで来ていることを示すように鮮やかな黄色い花が咲いていました。矢切の渡しの辺りから、ネギ畑の間の小道を矢切の斜面林に向って進むと、高台の上に伊藤左千夫の小説「野菊の墓」の文学碑がありました。すぐ側には、野菊という名前の花は存在しなくて、菊の形をした複数の植物の総称だということを説明をした看板もありました。
斜面林の縁の高台からは眺めがよく、畑や住宅や江戸川堤防が見え、その向こうには東京都側の街並みが見えました。小説が書かれた時代には、今の様な住宅はなく、正に小説に書かれているように秩父から足柄箱根の山々や富士山がくっきりと見渡せた筈です。いつかよく晴れた日の夕方もう一度この場所に来て、夕焼け空を背景に富士山がどう見えるか確かめてみたいと思いました。伊藤左千夫の小説は、1906年(明治39年)1月に雑誌「ホトトギス」に発表されたとのことですので、今から100年以上も前に小説の主人公の政夫と民子がこの風景を眺めながらどう感じていたのか想像できるかもしれません。