2015年2月13日金曜日

腎臓透析と脳梗塞後のリハビリを兼ねて長期入院している千葉大学勤務時代の元同僚教授/親友のN先生を、月に一度の見舞いに行ってきました。少し早目に家を出て、リハビリセンターを越えて手賀沼の周りをドライブしてみました。我孫子側から手賀大橋を渡って沼南(柏市)側に行くと、終戦後の食料難の時代に沼を干拓して新田開発した広い田んぼが何枚(筆=ひつ)もありますが、車を止めて歩いて土手に上ると一面の葦原の向こうに手賀沼と親水広場の「水の館」が見えます。

リハビリセンターにはちょうど奥様が来ておられましたので、二人でN先生に話しかけたり、二人の会話を聞かせたりしました。夕方の時間だったので他の患者はホールで食事中でしたが、N先生はベッドに寝たまま頸部の静脈に差した針から機械で栄養液を注入されていました。私が、「おいN君、君の顔を見に来たぞ、私が誰かわかるか、本山だぞ」と大きな声で呼びかけたら、ほんのちょっとの間だけ目を大きく開けて私の顔を見てくれました。現職の時にN先生の家族と私の家族は同じ公務員宿舎に住んでいたので、お互いに家族をよく知っている関係です。アメリカから送ってきた娘の家族の写真や孫たちの写真を見せながら話をしました。NHK Eテレでやっていた「趣味の園芸」の富山昌克君の写真もテレビの画面を撮影して持っていって見せました。富山君はN先生が指導していた奄美大島出身のK君という優秀な学生(学生時代にJournal of Biological Chemistry というレベルの高い国際的学術誌に論文を投稿して掲載された)と同じ時期に道場で空手の稽古をしていたので、もしかしたら富山君の顔を覚えているかもしれないと思ったからです。残念ながらN先生は今日は体調がよくなかったのか、何の反応も示しませんでした。
奥様は彼が元気だった頃よくN先生が買ってきて家族で一緒に食べたというハーゲンダッツのアイスクリームの小さな容器を取り出して、スプーンで少しずつ口に入れてあげました。美味しいのか、飲み込み終わるとまた口を開けて要求していました。しかしN先生には誤嚥障がいがあるので、少し気管に入ったのか途中で大きな声でむせび始めたので怖くなって食べさせるのを止めてしまいました。
N先生と私は同じ年齢ですから、この3月末で定年退職してから7年が経過したことになる筈ですが、長年の入院生活で、今はおしめをしてベッドに寝て天井を見るだけで、食事も血管から栄養液を注入するだけの痛々しい姿を見るのはつらいものがあります。奥様も、長年の親友の私の前では辛さを訴えたかったのか、「この世に神様はいないのかしら」とふと洩らしていました。
今日はほとんど反応を示してくれなかったN先生に、「また来るからな」と声をかけて病室を後にしました。

夜は、昨日市内の本屋で買ってきた野鳥の見分け方の図鑑を広げて、今まで撮影してきた写真と比べて名前を探しました。