2015年3月25日水曜日

長年勤務した会社を定年前に退職してNPO松くい虫を立ち上げた樹木医のA氏は、茨城県結城市から2トン積みのトラックを運転(朝5時出発)して予定通り朝7時に松戸に着きました。私も同乗して南房総市和田町の海岸の松くい虫被害木の集積場所には、10時40分頃着きました。千葉県南部林業事務所との打ち合わせでは、ここに伐倒木を集積してある筈だったのですが、実際にはすでに業者に委託して今年の伐倒木のほとんどの部分は処分をして、私たち用に少しだけ残してありました。樹皮をナタで剥いで調べてみたら、マツノマダラカミキリはすでに昨年以前に脱出した古い被害木と年越し枯れでマツノマダラカミキリの寄生していない枯死木だけで、今年の研究に使う予定のマツノマダラカミキリを羽化脱出させて採集できる木は1本もありませんでした。一昨年入手した時は、処分する前の伐倒木が集積してあったので効率よくその中からできるだけ多数のマツノマダラカミキリが寄生していてできるだけ細めの木を選ぶことができたのですが、今年は空っぽの木を持ち帰っても何の役にも立ちませんし、トラックをレンタルで借りて2日かけて網室まで運搬する計画とそのためにかけた時間とお金が全く無駄になってしまいました。県が仕事を委託した業者がどの木にマツノマダラカミキリが寄生しているか判断できずに、集めた伐倒木から適当に残したので、こういう残念なことになってしまいました。現地に到着して立ち会った南部林業事務所の職員は、伐倒木をこのまま残されても県としても処分に困るので、マツノマダラカミキリが入っているいないにかかわらず、木を全部持って帰って処分してほしいと言われてしまいました。
そう言われても私たちも困るので、千葉県森林研究所に電話をして相談したら、茂原の辺りに陶芸をやっている人がいて、陶器を焼く窯(かま)のマキとして火力の強い松の木を使うので引き取ってくれると教えてもらいました。そこでとりあえず伐倒木はトラックに積んで、電話で連絡をとってから明日立ち寄って引き取ってもらうことにしました。マツノマダラカミキリが入手できないと今年計画している研究ができなくなるので、A氏が茨城県の樹木医仲間に電話をして確認したら、大洗海岸の松林でこれから松くい虫被害木を伐倒する場所がまだあるとのことだったので、関係者に連絡をとってそこから入手できないか相談してみることにしました。

宿泊予定の房総白浜ホテルでの待ち合わせ時間は夕方の5時以降でしたので、伐倒木をトラックに積み込んでから、南房総市和田町の今年マツ苗を植樹した松林や花畑や海を見に行きました。比較的大きなマツには何本か殺線虫剤の樹幹注入施工済のラベルが貼ってありました。可愛らしい声で鳴く鳥がいたので写真を撮って図鑑で調べたら、自信はありませんがアオジという名前の鳥のようでした。その後で館山市の平砂浦に植樹された松苗の様子を視察しに行きました。場所によっては吹き積もった砂に苗が埋まっているところもあり、植樹した後の管理が必要だということが明らかでした。

宿泊予定の房総白浜ホテルにチェックインし、温泉で汗を流し、夕方6時過ぎに一杯やる約束の東京農工大名誉教授の安部 浩先生と千葉県暖地園芸研究所の植松清次博士が到着し、4人で夕食を食べながら10時近くまで楽しい時間を過ごしました。7階の部屋の窓からは、太陽が沈む直前の夕焼け空が見え、伊豆7島の一つの利島(としま)がかすかに見えました。太陽が沈む山影の横には、三浦半島かどうかわかりませんが、やはり東京湾の向こう側に山影が見えました。
植松博士とは昔からの知人で植物病理が専門ですので、抵抗性マツの機構解明に関して一緒に研究をしようということになりました。農業と林業の行政的な壁を越えることになるので、私があらかじめ千葉県暖地園芸研究所の所長と千葉県森林研究所の所長に話をして了解を得ることにしました。幸い、4月からは両方とも千葉大学園芸学部の卒業生が着任予定のようです。