2015年4月29日水曜日

横浜駅伝大会は朝10時にスタートしました。プログラムを見ると、参加チームは一般、混合、女子を合わせて490チームでした。千葉大学走友会は私がアンカーを走ったAチームと医学部薬剤部の若者(大半が20才代)が中心のBチームが参加しましたが、その他に2名の会員がそれぞれの家族を中心にした個人チームで参加していました。
1区10km、2区3km、4区8km、5区3km、6区5km、7区8.195kmで、7区の私のところにタスキが手渡されたのは午後1時頃でした。午前中は雲があって涼しかったのが、午後は晴れて暑くなりました。私は、年齢(72才10ケ月)と10kg体重オーバーの自分のコンディションを認識していましたので、とにかく無理をせずにマイペースで走ってタスキをゴールまで運ぶことだけを目指して走り、自分のストップウォッチ計測で1時間3分40秒で無事完走できました。熱中症にならないように、途中でしっかり4回も給水しました。20年前でしたら、この距離を多分35分以内で走れたと思いますが、現状では一応目標達成で満足です。

レース後にはブルーシートを敷いて皆で慰労会/懇親会をしました。ビール、ワイン、梅酒とのどが渇いていたのと口当たりがよかったので少し飲みすぎて酔っぱらってしまい、東急東横線の綱島(つなしま)駅までの帰り道はフラフラしてやっとたどり着きました。松戸までの電車の中でも、座席に座っていながら肩や脇腹や脚などが次々に攣(つ)るので、姿勢を変えて少しでも防ごうとしましたが、周りの人に気が付かれないようにするのに苦労しました。多分、今夜寝ている時もあちこちが攣ってのた打ち回って苦しむ筈です。

不十分な体調で走った私の自業自得です。千葉大学走友会は平成3年(1991年)に設立されましたので、今日参加したBチームのメンバーが生まれて間もない時期です。私はこの頃は体重も減らないし、十分な走り込みもできないし、外反母趾がひどくなって走ると足の甲の骨に痛みが走るようになったし、そろそろ競争的に走る駅伝からは引退するべき時期かもしれません。もちろん、健康管理のためのウォーキングやジョギングは続けるつもりですが。

先日市橋達也君のことで取材を受けましたが、どういう記事になるのかと思っていましたら、朝日新聞に載っていた「週刊女性」5月12・19日合併号の広告に、「英国人殺害 市橋達也受刑者(36)恩師にあてた悔恨の手紙」という見出しがありましたので、早速一部買ってきて該当ページを開いてみました。1ページ以内の短い記事ですが、私が提供した市橋君から私宛の手書きの手紙のコピーとともに、学生時代や事件当時の市橋君の様子を中心に簡単に紹介する内容でした。事件発覚後、マスコミがまるで市橋君を袋叩きにするかのように作り上げたイメージと違って、手紙は彼がごく普通の良識のある若者だったことを示しています。そんな若者が、一歩間違えればとんでもない犯罪者になり、被害者だけでなく自分の家族さえも悲惨な境遇に陥れることになる、という教訓を読者に読み取ってもらえればと思います。
彼の年齢が36才と記してありましたので、時間がどんどん経っていることを感じさせられました。