2015年4月26日日曜日

昨日は運動する時間が全くなかったので、今日はどうしても体を動かさないといけないと思って、江戸川堤防を越えて水元公園に行きました。日曜で天気も良かったので、多くの人たちが散歩にきていました。
先日、江戸川の岸に沿って定置網が設置してあって何を捕るのかと思ったら、一昨日24日(金)の朝日新聞の千葉版に稚鮎(ちあゆ)漁の最盛期だとの記事が写真付きで載っていました。網にかかった体長10cmくらいの稚鮎をタモ網ですくい上げてドラム缶に入れて、川中の生簀(いけす)まで運ぶのだそうです。稚鮎が100kgか200kgぐらいになると、埼玉県の漁協が清流の放流用にトラックで買いにくるのだそうです。松戸市漁協の組合員も昔は10軒以上の漁師がいたのが、今は2軒が残るだけとのこと。
今日は偶然葛飾橋の下を通る漁師の舟を見かけました。

ちょっと前までは花が満開だった堤防から水元公園B地区に続く桜並木も、今はすっかり葉桜の時期に変わり、よく見ると花が小さな実になっていました。梅の花も実になっていました。
園芸学部のある戸定ケ丘(とじょうがおか)の緑も日に日に濃くなり、左の端には徳川昭武公の別邸だった戸定邸が見えます。園芸学部構内のボタン(牡丹)の花も見事に咲いていました。江戸川の堤防でよく見るカラスはほとんどがハシボソガラス(嘴細烏)ですが、戸定ケ丘で見るのはハシブトガラス(嘴太烏)です。
今日は東京都金町側の水元公園から、埼玉県三郷側の三郷公園に行ってみたら、昔のチンドンヤみたいな賑やかな太鼓や鉦(かね)の音がして、阿波踊り祭りをしていました。4グループが交代にステージで踊ったり、公園内の小路を練り歩いていました。
昨年きれいなハスの花が咲いていた水路には、濁った水底から茎が伸びて小さな弱々しい葉が水面に出始めていました。やがて緑色の大きな葉になり、今年も見事な花を咲かせる茎が伸びてくるのでしょう。

夕方はいつもの床屋に行って、散髪をしてもらってきました。髪を短くして気分はサッパリしましたが、29日(水)の駅伝を走れるかどうかまだ自信がありません。わずか8.195kmですから、マイペースでなら走れる気もしますが、外反母趾がだんだんひどくなってきたので、走ると足の甲に痛みがあるのがちょっと不安材料です。



 












先週、カナダ在住の女性からメールが届きました。以前、市橋達也君の適正な裁判を支援するための募金活動をしていた時は、私を騙(だま)すことで達成感を感じる愉快犯かいやがらせ目的かわかりませんが、なりすましメールがずいぶん届きましたので、ある時期以降はこのブログで紹介するのは止めることにしてきました。今回も本当のところ判断はできませんが、私の返信の質問に対して一応きちんと返事が届きましたので、以下に紹介しておきます。もしなりすましでないとすれば、乳癌手術後の治療が成功して、健康を回復されることを心からお祈りしたいと思います。もしなりすましだとすれば、どなたかはわかりませんがそんなことをする時間とエネルギーと才能を、もっと意味のあることに使っていただきたいと思います。

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本山先生、

初めてメール致します。私はカナダのウィニペグ市在住の〇〇 〇と申します。

先生のご活動は市橋君の逮捕前から、先生のブログを通して知りました。このような遠い異国からでは、支援活動に貢献することもできず、だだブログで活動状況を見守っておりました。いまでは裁判も終わり、彼の消息は分からないものの、どこかの刑務所で罪を償っているであろうこと。先生のブログも先生の日常生活を反映したものになった今、こうしてメールを差し上げることに躊躇しましたが、本山先生なら、理解していただけるのではと思いメールいたしました。

私は市橋君の事件が世間を騒がせていた頃、インターネットのニュースを読み先生のブログへたどり着きました。元教え子とはいえ、他人である先生が体を張って、世間の非難中傷をも恐れずに彼の公平な裁判を受けさせるために奔走されたこと。罪を犯した元生徒を許し、救いの手を差し伸べてたこと。私は先生のなさったことに、感動したのです。私は世を拗ねて生きているわけではありませんが、先生の行為のよって、私の心になんともいえない暖かな光が照らし出されるのを感じたのです。このような感覚に襲われたのは、初めてのことでした。家族以外で、生まれて初めて人間として尊敬できる方に出会えたと思います。

なぜ、いまさらこのようなことを申し上げようと思ったかを少しご説明させてください。私は今年の初めに乳癌の手術をしました。現在は抗がん剤による化学治療を受けております。乳癌は癌の中でも比較的生存率の高い癌です。一方亡くなる方々もいます。カナダでの私の身内は主人のみです。幸いにも主人は精一杯のサポートをしてくれ、私には不満も心配もありません。驚いたのは周りのカナダ人の友人のサポートです。今まで軽い付き合いしかなかった友人でも、花やカードを届けてくれたり、私の所属しているToastmaster(スピーチクラブ)やアイスホッケーのチームメンバー達が、レストランのギフト券やディナーなどを届けてくれたり。隣人の老夫婦はまるで私を娘のように心配し、食事に呼んでくれたり、花を届けてくれたりとあまりのサポートにどうしてお返しをしていいのか分からないくらいです。なぜ彼らが私にそこまで親切にしてくれるのでしょう?彼らは他人です。彼らは私になんの義理もないのです。そんな時ふと、本山先生のなさったことを思い出したのです。

本山先生は他人である元教え子を支援された。私のカナダ人の友人たちは他人である私を支援してくれている。大なり小なりの違いははあります。大袈裟かもしれませんが、私は人間の優しさを初めて感じた気がしたのです。そして、それを感じさせてくれるきっかけを作ってくださったのは本山先生でした。そして、私はなんと自己中心的で優しさに欠けた人間なのだろうと、反省させられました。今まで病人を見舞っても、困っている人と話をしても、「大変ですね」とか「お大事に」とお決まりの言葉だけで、何が本当にその人のために必要かなどと深く考えてきませんでした。自分と、身内のことしか気にしてなかったのです。他人のために、自分が何ができるかと真剣に物事を考えることはありませんでした。

本当は、もっと早くにメール差し上げたいと思っていました。しかし本山先生の活動に貢献することもなく、このようなメールを出しても、多忙の本山先生のご迷惑ではないかと思っていたのです。ところが癌を患ってから、死というものが今までになく私の現実に近くなり、私のこの思いと、感謝の気持ちを私が生きているうちに、お伝えしたいと思ったのです。私に人としての本当の優しさを教えてくださったのは、本山先生です。本当にありがとうございます。心より感謝しています。いつの日か本山先生のような優しい人間になれるよう、努力していきたいと思います。

長々と私事を書いてしましました。私の本当の思いを文章にするのは、とても難しく、このメールにも、読みずらい、分かりずらいところがあったかと思います。お詫び申し上げます。

これからも、本山先生はいろいろな人々にいろいろな支援をされていかれるのでしょうね。くれぐれもお体に気を付けて、いつまでもお元気でいてください。

〇〇 〇
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