2015年7月10日金曜日

長期間入院している千葉大学時代の元同僚教授/親友のN君を見舞いに行ってきました。鼻からチューブを使って胃に直接栄養液を流し込んでいるので、栄養状態がよいのか以前よりもずっと顔色がよく元気そうでした。明日アメリカに帰る娘と孫たちの写真や、今咲いている季節の花の写真などを見せながら30分くらい話しかけました。N君は、一言も自分からは声を出してくれませんが、ずっと写真を見ながら私の話を聞いてくれました。この様子だと、いつまでも生きられるような印象を受けました。

夕方6時を過ぎたので、枕元のサイドテーブルに立てかけてある伝言帳に私が見舞いにきたことを記帳して、また来月来るからなと言って車で出発したら、途中で奥様からちょうど行き違いになったみたいと電話がありました。Uターンして引き返して、もう一度病院/リハビリセンターに戻りました。奥様にお会いするのは久しぶりでしたので、1時間ぐらいいろいろな話をしました。月・水・金(火・木・土はN君の腎臓透析日)に見舞いに来た時は、精神的に落ち込んで、睡眠薬を飲まないと眠れないとのことでした。イヤホンでCDの音楽を聞かせたり、本を読んであげたり、足をさすってあげたりしても、だんだん植物人間状態に近くなってきたN君が喜怒哀楽の表情を示さなくなってきたのを見るのはつらいのだと思います。
同室に最近入ってきた患者の一人は元高等学校の校長先生で、もう一人は元東大教授だそうです。高齢化社会で、認知症は核家族化した現在の家族だけでは対応仕切れない大きな問題になりつつあるようです。

駐車場の前の水田は、月に一度行くたびに稲が生長して、確実に時間が経過していることを感じさせてくれます。