2015年7月11日土曜日

午後1時半に、アメリカに帰る娘と孫を松戸駅まで車で送っていきました。1ケ月私たちと同居して生活したのですからたくさんのスーツケースがありましたが、孫たち3人が大きくなって運べるようになったので楽になりました。私はエレベーターの横に車を止めて、人間と荷物を降ろしてバイバイをしました。妻は付き添って、電車で成田空港まで行きました。

私は今日は明治大学の公開講座(寄付講座)の打ち上げパーティが午後4時過ぎにありましたので、そちらを優先しました。コーディネーターの北野 大先生をはじめ数人の講師とざっと見て50人ぐらいの受講生が参加していました。現役の学生も数名いましたが、ほとんどは社会人で、中にはリピーターで4回も受講したという人もいました。会場は明大通りの紫紺館という建物の5階にあるレストランフォレスタ椿山荘でしたので、パーティが終わってから少しその辺りを散歩してみました。
お茶の水は、昔高校を卒業して浪人時代に、大学受験の勉強で1年間通った予備校があったところですので、懐かしい気がします。JR御茶ノ水駅とホームは昔とほとんど変わらない感じでしたが、地下鉄の新御茶ノ水駅は昔はありませんでした。電車のホームと地上の間を上り下りする長いエスカレーターは、ストップウォッチで測ってみたら、片道1分27秒もかかりました。地底の炭鉱に入っていくような感じがして、大きな地震や津波の時に水が流れ込むようなことはないのだろうかとちょっと不安になりました。
駅のホームも明大通りも人が溢れていて活気があり、先日訪ねた福井県の福井駅前や鯖江駅前や山村の様子とは大違いでした。これから社会に出て活躍しようという多くの地方の若者がこういう都会にあこがれるのはやむを得ないのかなという気がしました。一応現役を退いた立場の私自身は、もし選択肢があるのなら、福井市野波(のなみ)の山村のようなところでのんびり暮らしたいという気がしますが・・。

明大通りには、楽器店やレストランなどが並んでいました。明大通りにある杏雲(きょううん)堂病院の植え込みの中に、大久保彦左衛門屋敷跡という石碑がありました。よく時代劇にでてくる大久保彦左衛門の屋敷がこの辺りにあったとは、驚きました。見取り図を見ると、江戸城(今の皇居の場所)からは結構遠い感じですので、昔の人も通勤(登城)するのは結構時間がかかったのかなと想像しました。
明治大学の近くには、日大の附属病院や理工学部、東京医科歯科大学、順天堂大学、東京歯科大学、駿河台大学など、いくつもの大学がありました。昔通った予備校はもうなくなっていて、JR線や神田川と並行に走っているその小さな通りには大きなビルがたくさん立ち並んでいました。
明大の公開講座(寄付講座)は来年も開講されるらしく、北野 大先生に来年もよろしくと講義を依頼されました。

夕方7時半頃松戸に着いたら、偶然空港から帰ってきた妻と道路で出会いました。妻は1ケ月間孫たちの世話で明け暮れて疲れ果てたようですので、これから孫たちが滅茶苦茶にしていった家の中の後片付けと、週2日のスポーツジム通いを再開して、心身の回復をはかることになる筈です。
孫たちはカリフォルニア州サンタモニカの自宅に帰ったら、3人ともYMCAのユースキャンプに1週間参加することになっているようです。カナダから帰国した義理の息子が、首を長くして家族の帰りを待っていることでしょう。