2015年7月8日水曜日

朝8:30にホテルに車で迎えにきてくれましたので、その前に鯖江駅の写真を1枚撮りました。鯖江出身の卒業生のNさんに、君の郷里の町に行ってきたぞと見せたいと思ったからです。

会場の福井県農業共済会館ホールには、ほぼ満席の約150名の参加者がきていました。福井県は、私にはどこが分水嶺になるのかわかりませんが、嶺北と嶺南の2つの地域にわかれているそうで、今回の農薬安全使用講習会は両方の地区を統一して開催したのだそうです。参加者は一般市民が対象ではなく、県庁や試験研究機関や農業指導機関で植物保護に関わっている人たちや、農薬管理指導に関わっている人たちが中心でした。プログラムは、植物防疫協会の理事長の挨拶(10分)、私の講演「農薬の適正使用について」(1時間半)、丹南健康福祉センター地域支援室による「毒物劇物の取扱と危害防止について」(30分)、福井県農林水産部地域農業課による「農薬の飛散防止について」(30分)、JA福井経済連による「農薬飛散防止機器の紹介」(10分)となっていました。参加者に配布するテキストは、講演のスライドがカラーでプリントされていました。私の講演は、大体予定通りにでき、1時間半でピッタリ終わりにできました。

その後のプログラムも会場に残って聴こうと思っていましたが、植物防疫協会の試験圃場に案内するからと言われて会場を出ました。車で大分走って、途中戦国時代に朝倉義景が織田信長に滅ぼされたという一乗谷 http://kamurai.itspy.com/nobunaga/asakura.htm の近くを通って、現在の地名で福井市野波(のなみ)という山村の一番上流地区に行きました。何軒か人が住まなくなって朽ちかけた廃屋(はいおく)もあり、集落が消滅しつつある感じの山間(やまあい)に試験圃場はありました。この辺りはイノシシやサルの被害を防ぐために、水田の回りには電柵が張り巡らされていて、畑には加えてネットも張ってありました。クマも目撃されるそうです。
試験圃場はさすがにきれいに管理されていて、農薬の薬効・薬害・残留試験をする作物がいろいろ植えてありました。キュウリは黄色い花が咲いていて、野外からミツバチもきて花から花へと飛び回っていましたが、都会の子供たちにこういう栽培風景を見せたいなと思いました。料理されて食卓に出される作物や八百屋に並んだ作物しか見たことがない子供たちは、こうして花が咲いて、小さい実になって、やがて大きな実に生長して収穫される過程を実際に見ると、病害虫の発生や栽培の苦労を知り、食べ物を大事にする気持ちが出てくるのではないかと思いました。

植物防疫協会に帰って皆で昼食の弁当を食べ、それから鯖江駅まで車で送ってもらって特急しらさぎ7号に乗りました。途中、敦賀(つるが)駅で途中下車して気比(けひ)の松原を見たいと思ったからです。あらかじめ植物防疫協会から福井県嶺南振興局二州農林部林業水産課に連絡をとってくれましたので、駅に担当職員が待っていてくれて現地を案内してくれました。気比の松原は静岡県の三保の松原、佐賀県の虹の松原とならんで日本の美しい3大松原と言われる有名な松原です。
敦賀湾に面して、1万3千本あるといわれる見事な松原が広がっていました。ここは国有林らしく、国が松くい虫防除などの管理をしているとのことです。農薬を地上散布しているとのことですが、年に200~300本の松が枯れているので、このままでは何年か後には消滅する計算になるとのことで心配していました。枯れる原因は松くい虫だけではなく、台風などの強風で倒れる分も含むとのことでしたので、今年伐倒した根株を見たいと思いましたが、三保の松原のように1本1本番号を付けて伐倒年月日をペンキで記載するというようなきめ細かな対応はされていませんでした。
敦賀湾に面した火力発電所の裏に連なる山々には松林があるらしく、それらは市の所管で有人ヘリコプターを使って薬剤散布をしているとのことでした。近くにラムサール条約 http://www.env.go.jp/nature/ramsar/conv/2-1.html で指定・登録された湿地があるらしく、松林に散布された薬剤が林床部の微生物相に影響がないかと指摘する声があるとのことでした。私たちの過去10年以上にわたるヘリコプター散布された薬剤の飛散に関する実態調査の結果から、雨が降ったり、風が吹いたり、日が照ったりするのと同じ程度の影響はあるかもしれませんが、それ以上の問題はない筈です。

今回の出張は、梅雨時でしたので天候には恵まれませんでしたが、新しい景色を見たり新しい人々との出会いもあり、有意義でした。福井県は織田(おだ)信長の織田家の出身の地と言われていることとか(福井県の織田家は「おだ」ではなく「おた」と呼ばれているそうですが)、朝倉義景、浅井長政 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%85%E4%BA%95%E9%95%B7%E6%94%BF、柴田勝家 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B4%E7%94%B0%E5%8B%9D%E5%AE%B6 などの戦国武将ゆかりの地ということで歴史のロマンを感じさせてくれました。一方、恐竜博物館で何十億年、何十万年という地球の歴史や恐竜の進化の歴史に触れることで、目の前に起こっていることを一歩下がった位置から眺めることができたことは、一瞬でも人間の良識を取り戻したような新鮮な経験でした。どこの国でもそうですが、領有権争いがあると政治家が必ず言う「歴史的にも国際法的にも我が国固有の領土」という言葉が、子供のけんかのような感じがしました。

米原から新幹線ひかりに乗って、松戸駅には午後7時頃着きましたが、今日は夕ご飯はないだろうと思っていつものタイ料理店に寄って食べてから帰りました。そうしたら、今日は帰りが早いと言ったので肉を焼いて夕ご飯を準備して待っていたのにと、妻に言われてしまいました。