2015年8月9日日曜日

70年前の今日8月9日は、午前11時2分に長崎に原子爆弾が投下された日ですので、メディアには関連した番組や記事がたくさんありました。私はNHKテレビの朝10時半からの長崎平和祈念式典の中継番組と、夜9時からのNHKスペシャル「"あの子"を訪ねて」という番組を観ました。
朝の番組では、田上(たうえ)富久長崎市長の平和宣言 http://www.asahi.com/articles/ASH866CZ5H86TOLB010.html とその後に登壇した被爆者代表谷口稜嘩(すみてる)氏の「平和への誓い」 http://blog.goo.ne.jp/suzukiakirazeirishijimusyo/e/26fc6a4ad0f12420272c8dcb87e19d8b の言葉が印象に残りましたが、二人とも現在の安倍内閣が国民の大多数の反対を押し切って通そうとしている安全保障法案に対する不安と不満を表していました。安倍総理大臣も参列していて、顔がクローズアップされて無表情を取り繕っているように見えましたが、内心は穏やかではないだろうなと想像しました。
夜の番組では、爆心地の近くにあった山里小学校の生徒約1500人の中の約1300人が亡くなったことと、生き残った児童37人の写った1枚の写真と、永井 隆博士 http://www.nagasaki-city.ed.jp/yamazato-e/05%20heiwa/04%20nagai%20hakase.htm が編集した「原子雲の下に生きて」という本にまとめた子供たちの作文をもとに進行し、写真に写っている"あの子"を何人か特定して、戦後70年間の人生を取材していました。
原子爆弾で一瞬にして親を亡くして孤児になった子供たちのその後の人生の苦労や、被爆者ということで受ける差別を避けるために隠し続けてきた人生のみじめさを紹介していて、胸が詰まりました。

政治家はいつも国民のためと言って戦争を始めますが、戦争になればどこの国でも勝つために手段を選ばなくなり、歯止めが利かなくなるのは当然です。原子爆弾も、それよりさらに強力になった水素爆弾も、破壊力が従来の爆弾と比べものにならないくらい大きくなったので、軍事目標に留まらず一般市民の犠牲が避けられないので大量殺戮(さつりく)兵器と呼ばれて特別視されますが、よく考えてみれば、核兵器にしても、毒ガス兵器にしても、生物兵器にしても、従来の火薬を使う爆弾にしても、人間どうしが殺し合うのですから、残虐性に変わりはなく馬鹿げた話です。
戦争の悲惨さを経験した日本が、70年前に二度と戦争をしないと誓ったことは正しい選択だったと思います。

今日は、7月26日(日)にマツ苗に薬剤散布をして2週間後に当たりましたので、圃場で3回目のマツ苗のサンプリングをして、クール宅急便で樹木医のA氏に発送しました。松枯れ被害木から発生させたマツノマダラカミキリ成虫に後食(こうしょく)させて、生物検定で薬剤の残効性を調査してもらいます。次は散布1ケ月後の8月23日(日)と、1.5ケ後の9月6日(日)にサンプリングする予定です。

10月に古巣のノースカロライナ州を今年も訪問する決心をし、飛行機の切符をネットで手配しました。10月3日(土)に出発し、11月2日(月)に帰国します。いつも利用する台所付のモーテルの予約とレンタカーの予約は現地のアメリカ人の空手の弟子/友人のマージーさんにやってもらいます。