2015年10月7日水曜日

今朝は5時に目が覚めましたので、時差がなくなってきたのかもしれません。朝食コーナーのテーブルでいつもと同じように食べていたら、隣のテーブルにいつも仲間とスペイン語で話しているラテン系の男性が座っていたので、"Good Morning.  Where are you from?  I am from Japan.   Are you working for construction?"  と声をかけてみたら、英語で挨拶を返されて、グアテマラ(メキシコのすぐ下に位置する中央アメリカの国)人で、道路工事で働いている、とのことでした。皆朝6時半過ぎには出かけていきますので、7時頃から仕事が始まるのかもしれません。
昨年来た時も見た朝焼けをみたいと思って、朝食後すぐSymphony Lake にウォーキングに行ってみたら、やはり黄金色の見事な朝焼けを見ることができました。1周ウォーキングをしているうちに空が明るくなって、雲の色も白く変わってきました。隣接した野外劇場Amphitheater にどんどん人が集まってきたので覗いてみたら、インドの人たちが大人も子供が次々に集まってきて、グループごとに音楽をかけてダンスをし始めました。日本のラジオ体操か、中国の太極拳のようなものかもしれないと思いました。
松くい虫の研究をしているのでいつも松の樹には目が行きますが、日本のアカマツ、クロマツよりもこちらのテーダ松は針葉が長い気がします。触ってみるとクロマツのようには固くなく、むしろアカマツの針葉と似た柔らかい感触です。この辺りの森には松と広葉落葉樹が混ざっていますが、広葉落葉樹の方は少しずつ黄葉したり、落葉し始めていて秋を感じさせます。

日本から宿題で持ってきた原稿3件のうちの1件は、昨日から集中的に取り組んで書き上げて編集担当者にメールに添付して発送しました。締め切りは7月26日でしたから、大幅に遅れて迷惑をかけてしまいましたが、やっと約束を果たしてホッとしました。すぐ2件目の原稿に取り掛かり始めましたので、こちらの方も集中して2~3日で書き上げたいと思っています。

11時半頃マージーさんが訪ねてきて昼ご飯を作ってくれました。サンドイッチとシチュウみたいなものですが、シチュウはスパイスが効いて美味しいのでお替わりをして2杯も食べてしまいました。私が料理ができないのを知っているので、母性本能で料理を作りにきてくれるのかもしれません。
私のノースカロライナ州立大学時代の恩師のW.C. Dauterman教授はもう亡くなって何年も経ちますが、奥さんのバーバラさんは今は次男で医者になったジョン君の近く(オレゴン州)に住んでいて遠いので、私は毎年ノースカロライナ州に来る度にお墓参りをしています。今回は偶然か、あるいは私が来ているのにタイミングを合わせてくれたのか、奥さんが今はカリフォルニア州のサクラメント市で弁護士をしている長男のウォルターJr.君と一緒にローリー市に来てくれましたので、夕方一緒にディナーに行く約束をしました。ダウンタウンにある42nd Street という名前のオイスターバー(牡蠣のレストラン)に夕方7時15分の待ち合わせで行ってみたら、大きなレンガ造りの建物に大勢の人が食事に来ていました。昔牡蠣(かき)を蒸すのに使ったボイラーの装置が飾ってあったり、ダイヤルを回す式の古い公衆電話器が置いてあったり、旧式の分銅付きの体重計が置いてあったり、このレストランで食事をした有名な政治家の車のライセンスプレートが壁に飾ってあったりして、なかなかいい雰囲気のレストランでした。体重計に乗ってみたら私は針が160ポンドのところまで動いたので72kg(約10kg太り過ぎ)でしたが、マージーさんは200ポンドのところまで動いたので90kg(身長からすると多分40kgぐらい太り過ぎ)だということがわかりました。私より11~12才若い筈のマージーさんも今は神経痛があるといって足を引きずるようにして短い距離をゆっくりゆっくりしか歩けませんが、多くのアメリカ人にとって、obesity(肥満)が一番の健康問題のようです。バーバラさんとウォルターJr.君とマージーさんは牡蠣を含んだ料理を注文しましたが私は最近は時々牡蠣でひどく当たることがあるので、用心して牡蠣は避けて海老とグリッツ(トウモロコシの粉)を含んだ料理を注文しました。
食事代はマージーさんの分と私の分は私が払いましたが、マージーさんが飲んだワイン代も含めて$48.54、税金$3.76、チップ$10.00で、合計$62.30でしたから、日本と比べてそんなに高いとは思いませんでした。
バーバラさんは前から薬を机の上に10粒くらい並べて順々に飲んでいましたが、食事の前にポータブルのキットをハンドバックから取り出して自分で親指から採血して血糖値を測って、シャツをめくってお腹にインシュリンの注射をしていました。確か私より12才くらい年長でしたから85才くらいの筈ですが、歩くのもウォーカー(歩行補助具)を使うようになっていました。
明後日は一緒に故Dauterman先生のお墓参りに行く約束をしました。