2015年10月3日土曜日

京成線の電車を乗り継いで成田空港には十分早めに着きましたが、自動チェックインができずに困りました。ANAの職員に調べてもらったら、結局昨年アメリカに滞在中にパスポートを紛失してワシントンDCの日本大使館に出かけて発行してもらったことを忘れていたので、ビザ免除のエスタhttp://apply-esta.info/apply.php?lang=ja&type=urgent(通常は2年間有効)に申請するのを忘れてしまったのが原因でした。空港でANAの職員がオンラインで申請してくれたのですが、クレジットカードで申請費用$14を支払うのに銀行が混んでいたのか1時間近くかかってしまい、時間ぎりぎりでやっとチェックインできました。同じトラブルが乗り継ぎ空港のワシントンDCのダレス空港の入国審査でも起こり、エスタの番号が多分新旧2つあったので不審者と思われたらしく、審査官に口頭でいくつか質問されてやっとOKになりました。

成田からワシントンDCまでは11時間ちょっと、ワシントンDCからノースカロライナ州のローリー・ダーラム空港までは約1時間でした。飛行機の中では、時差ボケ防止のためにいつも眠るようにしているのですが、今回は目はつぶったのですがなかなか眠れず、11月21日に予定されているシンポジウムで何を話そうか構想を練って、いい案ができました。忘れないようにダレス空港で乗り継ぎ便を待っている間に手帳にメモしておきました。ワシントンDCでは雨が降っていて肌寒かったので、機内持ち込みのバッグからジャンバーを取り出して着ました。

ローリー・ダーラム空港にはマージーさんが一人で待っていてくれました。ビル君は体調が悪くてこれなかったとのことでした。このところ激やせしたようですので、心配です。
いつも宿泊するExtende Stay Amarica というモーテルに入ってチェックインしたら、今回は3階の部屋でした。ローリー市内か近くの町に住んでいて、都合のついた友人たちが来てくれて、バーベキューを食べながら私の歓迎パーティをしてくれました。フランク君の奥さんのジョアンさんはウォーカーを使っていますが、リハビリのお蔭で自分で数メートルは歩けるようになっていました。昨年は一度腰かけたら、自分で立ち上がることもできない状態でした。ダニー君の奥さんのロビンさんと娘のジーナさんが来てくれ、ジーナさんは赤ちゃんの時から知っていますが、ずいぶん体が大きくなって(多分身長は190cmぐらい)、コミュニティカレッジ(短大)で料理の勉強をしているとのことでした。ユージン君の長女のモーガンさんも赤ちゃんの時から知っていますが、今はノースカロライナ州立大学の工学部2年生で、やはりずいぶん体が大きくなって(こちらも身長は多分190cmぐらい)いました。
フランク君は私より5年若い68才ですが、1969年からの空手の弟子/親友です。昔20才代の若者だったのが今はおじいさん・おばあさんの年齢になって、孫の話をするようになりました。ひとしきりポークバーベキュウと豆とポテトサラダとデザートを食べて、昔のことや今のことなどを語り合って楽しいひとときを過ごしました。私が寝不足で居眠りし始めるので、夜の9時頃にはみんな引き上げていきました。
私にとってはいつまでたっても気持がつながっている家族のような存在です。

マージーさんは車を買い替えていましたが、以前はずっとトヨタだったのに、日本製(タカダ)のエアーバッグの不正問題が明るみに出たから韓国製にしたと話していました。車の中は相変わらず荷物が一杯で、運転席の周りにはびっくりするほどいろいろな飾りつけがしてありました。
ローリー・ダーラム空港は私が1969年に初めて来た時は田舎の空港で、ダウターマン先生が赤ちゃんを抱いて飛行機のタラップのすぐ下まで歩いて迎えに来てくれましたが、今は巨大な国際空港になりました。昔の方がいいと言っても、時代の流れですから仕方がありません。
モーテルはもう何年間も毎年同じモーテルを使っていますが、経営陣の監督の芽が行き届かないのか、ビジネスが厳しいので節約しているのか、サービスが少しずつ落ちてきているような気がします。